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2026.08.18

スコープ3のデータ収集2026|タイ工場は集める側にも回る

スコープ3のデータ収集2026|タイ工場は集める側にも回る

「うちはまだScope1・2の算定で手一杯です」というお話をタイの日系工場で伺うことが増えました。ただ、スコープ3のデータ収集は、気がつくと日本本社ではなく、タイ側の調達・生産管理の担当者の机の上に載っています。理由は単純で、日本本社にとってのスコープ3の一部は、タイ工場が発注しているタイ国内のサプライヤーの排出量だからです。つまりタイ工場は、親会社にデータを出す側であると同時に、自社の取引先からデータを集める側にも回ります。この記事では、チョンブリ県の自動車部品工場をモデルケースに、42社の一次サプライヤーからどうやってデータを集めるのか、集まらないときに何が起きるのかを、正直に数えます。

スコープ3のデータ収集は、もう日本本社だけの仕事ではない

サステナビリティ開示という言葉を聞いたとき、タイの工場側でまず思い浮かぶのは「本社が何か資料を作っているらしい」という距離感だと思います。実際、数年前まではそれで正しかった面があります。開示の主体は上場している親会社であり、タイの製造子会社に求められるのは、せいぜい年に一度の電力使用量の報告くらいでした。

その距離感が崩れる理由は2つあります。1つ目は、親会社の連結ベースの排出量に、タイ工場の排出量がそのまま含まれるという点です。GHGプロトコルの一般的な会計原則では、資本関係があり連結対象となる子会社の排出量は、原則として親会社の連結ベースのScope1・2に計上されます。Scope3ではありません。つまりタイ工場が使った電力は、親会社の開示資料の中で「Scope2」として姿を現します。親会社が開示義務化の対象になれば、タイ工場は監査に耐える粒度で自社の電力・燃料データを出さなければならなくなります。

2つ目が、この記事の主題です。タイ工場が調達している部品や材料、外注加工、そして物流。これらを供給しているタイ国内やASEAN域内の会社は、親会社と資本関係がありません。資本関係の無い取引先の排出量は、親会社から見ればScope3として計上されます。特にカテゴリ1「購入した製品・サービス」に該当する部分は、多くの製造業で排出量が最大になる領域です。

そしてこのカテゴリ1のデータは、日本の本社が直接集めることができません。発注書を出しているのはタイ工場であり、サプライヤーの担当者と日常的にタイ語で話しているのもタイ工場の調達担当者だからです。日本本社が「カテゴリ1の一次データを集めてください」と言った瞬間、その作業はタイ側に降りてきます。

なお、連結の範囲をどう設定するか、操業支配基準を採るのか出資比率基準を採るのかによって、どこまでが自社のScope1・2でどこからがScope3になるかは変わります。この記事では一般的な考え方として書きますが、実際の連結処理と境界設定は、必ず親会社の担当部門と会計・サステナビリティの専門家に確認してください。

スコープ1・2・3の違いを実務の言葉で整理する

用語の整理を先に済ませておきます。zeroboardのサプライチェーン排出量の解説にある通り、GHGプロトコルでは事業活動に伴う排出を3つに分けます。

区分内容タイ工場での具体例
Scope1自社が直接排出する分ボイラーの燃料、フォークリフトのLPG、社有車のガソリン
Scope2購入した電力・熱に伴う間接排出電力会社から買っている電力
Scope3自社の直接管理の外で発生するが、事業活動に起因する排出購入部品の製造、輸送、出張、製品の使用と廃棄

Scope1とScope2は、自社の請求書とメーターで完結します。燃料の伝票と電力の請求書があれば、原則として算定できます。この部分の算定手順と費用の目安は、前回の記事CO2排出量の見える化 タイ工場のScope1・2算定と費用で詳しく扱いましたので、まだ手をつけていない方はそちらを先にお読みください。

問題はScope3です。Scope3は15カテゴリに分かれており、そのすべてが自社の外で起きています。自社の請求書には出てこない、あるいは出てきても金額しか書かれていない。この「自社の帳簿に排出量が載っていない」という性質が、データ収集を難しくしている根本原因です。

15カテゴリのうち、製造業で最初に問題になるのはほぼ例外なくカテゴリ1「購入した製品・サービス」です。部品を買っている以上、その部品を作るときに発生した排出は自社のサプライチェーンの一部として扱われます。同じ解説記事でも、カテゴリ1は多くの製造業で排出量が最大になる主要カテゴリとされています。

海外の分析では、多くの企業で排出量の約75%はサプライヤー・物流・顧客など自社の外で発生するとされています(Council FireのHow Supply Chains Track Scope 3 DataNormativeのScope 3 supplier engagement)。これは業種や事業モデルによって大きく変わる一般的な傾向値であり、個別の工場に当てはめられる数字ではありません。ただ、方向としては「自社の中を必死に削っても、全体の一部にしか触れていない」ということを示しています。

タイ子会社がスコープ3に巻き込まれる2つの向き

先ほど述べた2つの向きを、もう少し具体的に分けておきます。この2つを混ぜて議論すると、社内で話が噛み合わなくなります。

向き誰から誰へタイ工場の立場求められるもの
出す側タイ工場 から 日本の親会社へデータの提供者自社のScope1・2の実績。電力量、燃料使用量、期間、算定根拠
集める側タイのサプライヤー から タイ工場へデータの収集者サプライヤーの排出量。品目別または取引額別の実績値

出す側の話は、社内で完結します。自社の電力メーターと燃料伝票を整えれば済むので、難しくはあっても輪郭ははっきりしています。前回記事の射程がここです。

集める側は性質がまったく違います。相手は自社の従業員ではなく、独立した会社です。指示ではなく依頼になります。そして依頼された相手に、そもそもデータを出す能力があるとは限りません。ここが本記事の中心です。

この2つの向きが同時に走るという点も見落とされがちです。親会社への報告期限に合わせて自社のScope1・2を締めているのと同じ時期に、サプライヤーへの依頼も走らせなければなりません。担当者が1人しかいない工場では、この2つが同じ月に重なった時点で回らなくなります。

SSBJの義務化スケジュール — 2027年3月期から順に始まる

いつまでに何が必要になるのか、という時間軸の話をします。日本の金融庁は2026年1月8日、SSBJ(サステナビリティ基準委員会)が定めるサステナビリティ開示基準の義務化スケジュールを公表しました。

対象開始時期
時価総額3兆円以上の企業2027年3月期から義務化
時価総額1兆円以上3兆円未満の企業2028年3月期から
時価総額0.5兆円以上1兆円未満の企業2029年3月期を目途に適用が適当とされる

2026年1月時点で時価総額3兆円以上の日本企業は、約70社から80社とされています(Mono Queの2026年ソリューション別展望東京海上ディーアールの義務化見通しの解説サステナビリティNaviのSSBJ基準の整理)。

この社数を見て「うちの親会社は対象外だ」と安心する方がいます。しかし実務で効いてくるのはもう一段先です。時価総額3兆円以上の70社から80社の企業は、それぞれが数百社から数千社のサプライヤーを抱えています。その企業がカテゴリ1の一次データを集め始めれば、対象外の中堅企業も「取引先として依頼される側」になります。義務化されるのは70社から80社でも、データ提出を求められる会社の数はその何十倍にもなります。

そして時価総額1兆円以上3兆円未満の層が2028年3月期、0.5兆円以上1兆円未満の層が2029年3月期を目途に続きます。日系製造業の親会社の多くはこのどこかの層に入ります。準備の期間として残されているのは、決して長くありません。

サプライチェーンのCO2データ収集はカテゴリ1が主戦場

Scope3の15カテゴリを全部同時に着手しようとすると、必ず止まります。実務としては、カテゴリ1から始めるのが定石です。理由は3つあります。

第1に、排出量が大きいからです。製造業では購入品の製造に伴う排出が支配的になりやすく、ここを外すと全体像が描けません。

第2に、データの入り口がはっきりしているからです。カテゴリ1の相手は自社の購買データに全部載っています。誰にいくら発注したかは、購買システムか会計システムを見れば分かります。出張や通勤のように「そもそも誰に聞けばいいか分からない」という状態にはなりません。

第3に、削減の打ち手につながるからです。サプライヤーの排出量が見えれば、設計変更や調達先の見直しという具体的な打ち手が視野に入ります。カテゴリの中には、見えても自社では動かしようがないものもあります。

そこで本記事では、カテゴリ1に絞って話を進めます。残る14カテゴリについては、この記事では数値化も金額化もしません。カテゴリ1の収集が回るようになってから順に広げるのが、現実的な順序です。

モデルケース|チョンブリ県の自動車部品工場でサプライヤーを数える

スコープ3のデータ収集2026|タイ工場は集める側にも回る - figure 1

ここから具体的な数字で見ていきます。以下は独自試算であり、実在の企業の数値ではありません。金額や社数そのものより、どう数えてどこで詰まるのかという構造をご覧ください。

想定するのは、タイ・チョンブリ県にある日系の自動車部品工場です。従業員は150名。日本の親会社は東証上場の製造業で、時価総額は1兆円以上3兆円未満の層に属するとします。つまり2028年3月期からの開示義務化が視野に入る立場です。

この工場の年間の原材料・部品調達額は合計480,000,000 THBです。一次サプライヤーは42社。プレス材、樹脂成形、表面処理、副資材、そして外注の熱処理といった構成で、タイ国内の中小企業が中心です。

この42社に「昨年度の御社の排出量データをいただけますか」と依頼したところ、次のような結果になりました。

区分社数比率対象調達額(THB)調達額比率
排出量データを提出できる614%168,000,00035%
排出量データを提出できない3686%312,000,00065%
合計42100%480,000,000100%

提出できた6社は、いずれも自社も日系または欧州系の資本が入っている中堅企業で、親会社から同じ要求を受けて既に算定体制を持っていました。残る36社は、地場のオーナー企業や家族経営の加工業者で、そもそも自社の電力使用量を月次で把握していない会社も含まれます。

注目していただきたいのは、社数の比率と調達額の比率がずれている点です。社数では14%しか出せていませんが、調達額では35%をカバーできています。これは大口の取引先ほど規模が大きく、算定体制を持っている確率が高いためです。裏を返すと、残りの65%にあたる312,000,000 THB分は、当面データが手に入らないということになります。

なお、この工場自身のScope1・2は次の通りとします。

区分排出量(t-CO2/年)
Scope1(燃料の直接燃焼・フォークリフト等)120
Scope2(購入電力)880
Scope1・2合計1,000

この1,000 t-CO2という数字と、次の章で計算するカテゴリ1の推計値を比べると、なぜサプライチェーンのCO2データ収集が避けて通れないのかが見えてきます。

一次データと二次データ — 実務上の違いはどこに出るか

サプライヤーからデータが集まらないとき、算定を諦める必要はありません。代替手段があります。それが二次データです。

一次データとは、サプライヤーが自社の実績から算定した排出量そのものです。何kWh使って、どの燃料を何リットル燃やして、その結果いくらのCO2が出たか。実測に基づく数字です。

二次データとは、業界平均などから作られた排出原単位を使って推計する方法です。よく使われるのが金額ベースの原単位で、「この業種の製品を100万バーツ分買ったら、平均してこれくらいのCO2が出ている」という係数を調達額に掛けます。

観点一次データ二次データ
出所サプライヤーの実測値業界平均の排出原単位
入手の手間大きい。相手の協力が要る小さい。自社の購買データだけで計算できる
精度高い。ただし相手の算定品質に依存する低い。同業種の平均からのずれを吸収できない
削減の反映サプライヤーの努力が数字に出るサプライヤーが削減しても数字は動かない
監査対応根拠を示せる推計であることを説明する必要がある

実務では、当面この2つを混ぜて使うことになります。出せる会社からは一次データを、出せない会社は二次データで埋める。これは妥協ではなく、現時点では標準的なやり方です。

ただし、混ぜて使うときに何が起きるのかは知っておく必要があります。次の章で数字にします。

独自試算|二次データだけで推計するとどれだけずれるか

スコープ3のデータ収集2026|タイ工場は集める側にも回る - figure 2

モデルケースに戻ります。この工場が使う金額ベースの排出原単位を、2.5 t-CO2 / 1,000,000 THB と置きます。これも独自試算のための仮の係数です。

まず、42社すべてを二次データだけで推計した場合のカテゴリ1排出量です。

480,000,000 THB ÷ 1,000,000 × 2.5 = 1,200 t-CO2

先ほどのScope1・2合計が1,000 t-CO2でしたから、カテゴリ1だけでその1.2倍です。自社の工場の中を必死に削っても、購入品の裏側にある排出のほうが大きいという構図が、数字で出てきます。しかもこれはScope3の15カテゴリのうち1つだけの数字です。

次に、一次データが取れた6社の部分を比べます。この6社の調達額は168,000,000 THBですから、二次データで推計すると次のようになります。

168,000,000 THB ÷ 1,000,000 × 2.5 = 420 t-CO2

ところが、この6社から実際に提出された一次データの合計は294 t-CO2でした。

対象二次データ推計(t-CO2)一次データ実測(t-CO2)差(t-CO2)
データを提出できた6社420294126

差は126 t-CO2、二次データのほうが30%大きく出ています。126 ÷ 420 で30%です。

理由は想像がつきます。データを出せた6社は、親会社から同じ要求を受けて既に算定体制を持っている会社でした。算定体制を持っている会社は、たいてい省エネにも手をつけています。つまり業界平均より排出量が少ない側の会社です。業界平均の原単位を掛けると、その努力が見えないまま過大に評価されます。

では全体ではどうなるか。36社分は二次データのままです。

312,000,000 THB ÷ 1,000,000 × 2.5 = 780 t-CO2

これに6社の一次データ294 t-CO2を足すと、混合推計は次のようになります。

294 + 780 = 1,074 t-CO2

推計方法カテゴリ1排出量(t-CO2)
全42社を二次データで推計1,200
6社を一次データに置き換えた混合推計1,074
126

全体で126 t-CO2、比率にして10.5%の差が出ました。126 ÷ 1,200 で10.5%です。たった6社を一次データに置き換えただけで、報告する数字が10.5%動きます。

ここで重要なのは、どちらが正しいかという話ではありません。両方とも同じルールに沿った正当な算定です。問題は、同じ工場の同じ年の排出量が、集めたデータの量によって10.5%変わるということです。この振れ幅を知らないまま数字を親会社に出すと、翌年に一次データが増えた瞬間、削減していないのに数字が減ったように見えたり、その逆が起きたりします。

二次データに頼る限り、削減は調達量を減らすことでしか示せない

二次データには、精度以上に深刻な構造的な限界があります。金額ベースの原単位は、調達額に係数を掛けているだけです。ということは、推計値が下がる条件はただ一つ、調達額が下がることだけです。

具体的に考えてみます。先ほどの36社のうち1社が、屋根に太陽光を載せ、古いコンプレッサーを更新し、実際に自社の排出量を20%削減したとします。素晴らしい成果です。しかし、その会社の一次データを受け取っていないモデル工場の帳簿上、この削減は0 t-CO2として扱われます。調達額が変わっていないからです。

この構造は2つの困った結果を生みます。

1つ目は、サプライヤーに削減の動機が生まれないことです。頑張っても取引先の数字に反映されないなら、コストをかけて省エネする理由が薄くなります。

2つ目のほうが厄介です。二次データしか持っていない企業が「Scope3を削減した」と言うためには、調達額を減らすしかありません。安いサプライヤーに切り替える、あるいは仕様を落として単価を下げる。それで推計値は確かに下がります。しかし実際の大気中のCO2は1グラムも減っていません。むしろ、安いサプライヤーが石炭火力に頼る地域の工場だった場合、現実の排出量は増えている可能性すらあります。

だからこそ、一次データを集める仕組みが要ります。Mono Queの解説でも、当面は二次データでの代用が続くものの、中期的には企業が主要サプライヤーに一次データを直接要求するようになり、実際に排出量を削減できているサプライヤーが選ばれる取引先になっていく、という流れが指摘されています。

スコープ3のサプライヤーデータを集める実務 — 誰に何をどの頻度で

スコープ3のデータ収集2026|タイ工場は集める側にも回る - figure 3

ここからが本題です。スコープ3のデータ収集で最初に設計すべきなのは、算定ルールの細部ではありません。誰に、何を、どの頻度で、どんな様式で聞くか。この4つです。

誰に聞くか。 42社全部に同じ熱量で依頼すると、担当者が潰れます。調達額の大きい順に並べ、上位で調達額の大半をカバーする範囲を「重点対象」として一次データを依頼します。モデルケースでは、6社で調達額の35%をカバーできていました。残りは当面二次データで埋め、翌年に重点対象を広げていく。この段階設計が無いと、初年度で息切れします。

何を聞くか。 ここで多くの現場が失敗します。「御社のCO2排出量を教えてください」とだけ書いた依頼は、まず返ってきません。相手はその質問に答える手段を持っていないからです。聞くべきなのは、相手が自分の請求書を見れば答えられる粒度の項目です。対象期間の購入電力量、燃料の種類と使用量、自社の年間売上高または出荷金額。この3つがあれば、こちら側で按分して排出量を推計できます。排出量そのものを聞くのではなく、排出量を計算するための素材を聞く。これが実務のコツです。

どの頻度で聞くか。 毎月依頼すると相手が疲弊し、年に一度だと精度も鮮度も落ちます。半期に一度、つまり年2回が現実的な落としどころです。親会社の報告サイクルに合わせて、依頼のタイミングを固定します。「そういえば今年もあの依頼が来る時期だ」と相手が予想できる状態を作ることが、回収率に直結します。

どんな様式で聞くか。 ここが工数を最も左右します。様式を統一せずに依頼すると、42社から42通りの形式が返ってきます。単位がkWhだったりMWhだったり、期間が暦年だったり会計年度だったり、そもそもPDFをスキャンした画像で送られてきたり。この読み替えに、後述する通り膨大な時間が溶けます。

もう一点。依頼文には、集めたデータを何に使い、誰と共有するのかを明記してください。サプライヤーにとって電力使用量や売上高は経営情報です。目的が書かれていない依頼は、警戒されて止まります。逆に、親会社の開示に使うこと、個社別の数字を他社に開示しないことを最初に書いておけば、回収率は明らかに上がります。

独自試算|都度Excel依頼と仕組み化で工数はどう変わるか

様式を統一しないまま、都度Excelで個別に依頼した場合の工数を数えてみます。これも独自試算です。

作業時間(時間/社)
依頼文の作成と送付0.5
督促と再送1.0
様式のばらつきの読み替え1.5
単位と対象期間の確認0.5
合計3.5

1社あたり3.5時間です。これを42社に対して行うと147時間、半期ごとに年2回実施すると294時間になります。ほぼ1人の担当者の2ヶ月分に近い時間が、データを集めるという作業だけに消えます。

対して、様式を統一し、Web入力フォームを用意し、単位と期間を選択式にして、明らかに桁が違う入力を自動で弾くようにした場合を考えます。

方式1社あたり(時間)1回あたり(時間)年間(時間)
都度Excelで個別依頼3.5147294
様式統一とフォーム収集0.833.667.2
2.7113.4226.8

年間226.8時間の削減です。担当者の時間単価を450 THB/時とすると、金額では次のようになります。

226.8時間 × 450 THB/時 = 102,060 THB/年

一方、仕組み化には費用がかかります。

項目金額(THB)
収集様式の整備とWeb入力フォーム構築(初期)180,000
初期設計・サプライヤー説明の工数 120時間 × 450 THB/時(初期)54,000
初期費用合計234,000
年間運用費 3,000 THB/月 × 12ヶ月36,000
年間削減額102,060
年間の正味効果66,060

年間の正味効果は102,060 − 36,000 で66,060 THBです。初期費用234,000 THBに対する単純回収期間は次のようになります。

234,000 ÷ 66,060 = 3.5年

工数削減だけでは回収しない — 金額化しないもう一つの価値

3.5年という数字を、そのまま出します。設備投資の判断基準としては、決して速い回収ではありません。工数削減という理由だけで社内の予算を通そうとすると、この数字が壁になります。

数字を良く見せる方法はあります。担当者の時間単価を管理職の水準に置き換える、削減工数を残業代に換算する、あるいは収集の頻度を増やす前提を置いて削減時間を膨らませる。しかしそうやって作った数字は判断の材料ではなくなるので、この記事ではそのまま出します。

では、なぜそれでも仕組み化を勧めるのか。理由は、金額化していない部分にあります。

排出量データの収集を仕組み化することの本当の価値は、取引を続けるための条件を満たせるようになることです。親会社が2028年3月期から開示義務化の対象になり、カテゴリ1の一次データ提出を取引条件に加えたとき、応じられる工場と応じられない工場が分かれます。応じられない側に立ったときの損失は、工数の削減額とは桁が違います。

しかしこの価値は金額化しません。発注側がいつ、どの水準の要求を出してくるかという仮定が入りすぎるからです。「取引が止まる確率を仮に低く見積もって」といった計算を始めた瞬間、その試算は仮定の数字を積み上げただけのものになります。実際に効果を検証できない数字を投資判断に混ぜるべきではないと考えるので、ここは金額化しないという立場を取ります。

判断していただきたいのは、こういう問いです。3.5年で回収する工数削減に加えて、数年以内にほぼ確実に来る要求に先回りできること。この2つを合わせて、234,000 THBの初期投資に見合うかどうか。金額だけを見て決められる話ではありません。

データを出せない取引先が選ばれなくなる構造

もう一段先の話をします。この構造には、方向が2つあります。

1つは、自社が「出せない側」になるリスクです。モデル工場の親会社が2028年3月期から開示義務化の対象になり、連結子会社に対してScope1・2データの提出を求めてきたとき、電力使用量を月次で把握していなければ対応できません。これは前回記事の射程ですが、期限が具体的に見えてきた以上、後回しにできる話ではなくなりました。

もう1つは、自社が「求める側」になったときの影響です。仮にモデル工場が、一次サプライヤーに対して排出量データの提出を取引の条件に加えたとします。対象になるのは、データを出せない36社、金額にして312,000,000 THB分、調達額の65%です。

この65%を一斉に切り替えることは、現実には不可能です。品質を作り込んできた加工先を、データが出せないという理由だけで替えれば、不良率と納期が跳ね返ってきます。だから実務では、切り替えではなく育成になります。データの出し方を教え、様式を渡し、初回は一緒に埋める。この手間を誰が負担するのかという議論が、そのうち必ず社内で起きます。

Environment+Energy LeaderのScope 3データに関する記事が指摘している通り、Scope3のデータは実質的にサプライヤー側の準備状況に依存しており、多くのサプライヤーは監査に耐える粒度と書式で排出量データを出せる状態にありません。この状態は、要求する側が待っていれば解消するものではありません。

そして中期的には、Mono Queの解説が述べる通り、実際に排出量を削減できているサプライヤーが選ばれる取引先になっていきます。データを出せることが最低条件になり、その上で削減実績が比較される。タイの日系工場は、この構造の中で「求める側」と「求められる側」を同時に演じることになります。

タイとASEANの気候関連開示は今どこにいるか

ここまでは日本の親会社を起点にした話でした。タイ側の制度はどうなっているかも押さえておきます。

PRE Sustainable Consultancy Bangkokの解説およびTres InnovationsのASEANサプライチェーンにおけるScope 3の実務ガイドによれば、タイやASEAN各国で当面求められる気候関連開示は、依然としてScope1・2が中心です。各国の金融当局は、ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)のS2基準に沿った段階的な気候開示の導入を進めていますが、Scope3を全面的に義務づける段階には至っていません。

ただし同じ資料は、企業がScope3開示への準備を今から始めるべきだとしています。制度が来てから対応を始めるのでは、サプライヤーとの関係構築が間に合わないからです。

タイの日系製造業にとって、この時間差は実はチャンスでもあります。タイ側の制度がScope3を要求していない今のうちに、日本の親会社の要求に応える形で収集の仕組みを作っておけば、タイ側の制度が動いたときには既に回っている状態を作れます。逆に、日本本社からの依頼をその都度Excelで凌いでいると、制度が二重に来たときに同じ作業を2回やることになります。

なお、タイの具体的な適用時期や罰則については、制度の検討が進行中の部分もあります。この記事では確定していない施行日を書きませんので、最新の状況は必ず一次情報と専門家にご確認ください。

現場の計測データがそのまま根拠になる — OTとIoTトレーサビリティの役割

最後に、この話が工場のOT・IoTとどうつながるかを整理します。

サプライヤーからデータを集める話をしてきましたが、その前提として、自社が「まともなデータを出せる工場」である必要があります。親会社に電力量を報告するときも、サプライヤーに様式を渡して説明するときも、自社が請求書の合計値しか持っていない状態では説得力がありません。

自社の電力を設備別・工程別に計測していれば、いくつかのことが同時に成立します。第1に、親会社へのScope2報告の根拠が請求書だけでなく実測でも裏付けられます。第2に、生産量あたりの原単位を出せるようになるため、生産が増えて排出量が増えたのか、効率が悪化したのかを区別できます。第3に、これが最も実務的ですが、サプライヤーに「こういう形でデータを取っています」と実物を見せられるようになります。

計測の仕組みそのものは、エネルギー管理の文脈で既に説明しています。設備別の電力計測から投資回収までの流れはISO50001エネルギー管理2026 投資回収は電力の見える化からをご覧ください。排出量の算定は、その計測データの出口の一つに過ぎません。

トレーサビリティの観点からも、この流れは自然です。どのロットをどの設備で何時間かけて作ったかを記録している工場は、そのロットに紐づく電力量を按分できます。製品単位のカーボンフットプリントを求められる日が来たとき、この紐づけを持っている工場と持っていない工場では、対応にかかる時間がまったく変わります。今はScope3のカテゴリ1の話ですが、その先には製品単位の排出量開示が控えています。

導入の進め方|4ステップ

実際に着手する順番を整理します。

ステップ1、購買データの棚卸し。 直近1年の購買実績を、取引先ごとの金額で降順に並べます。何社と取引していて、上位何社で調達額の大半を占めるのかを把握します。この一覧が無ければ、誰に依頼すべきかを決められません。多くの工場では会計システムから1日で出せます。

ステップ2、二次データでの全体推計。 金額ベースの原単位を使って、まず全社分を推計します。精度は低くて構いません。目的は、カテゴリ1の排出量が自社のScope1・2と比べてどの程度の大きさなのかを知ることです。この数字が出た時点で、社内の優先順位が変わります。

ステップ3、重点対象への一次データ依頼。 調達額の上位から重点対象を決め、統一様式で依頼します。初回は回収率が上がらない前提で計画してください。依頼して、説明して、督促して、それでも半分も返ってこないのが普通です。返ってきた分と返ってこなかった分を記録し、翌回の依頼設計に反映します。

ステップ4、収集の定例化。 依頼の時期、様式、督促のタイミングを固定し、年2回のサイクルとして運用に載せます。ここまで来て初めて、工数が下がり始めます。1回目の依頼だけで終わらせると、翌年また同じ工数がかかります。

ステップ3で挫折する工場が非常に多いのですが、それは失敗ではありません。初回の回収率が低いのは織り込み済みで進めるべきものです。むしろ危険なのは、回収率が低いことを理由にステップ4に進まず、翌年また都度Excelに戻ってしまうことです。

よくある質問

スコープ3のデータ収集は何から始めればいいですか

購買データの棚卸しから始めてください。取引先ごとの年間調達額を降順に並べた一覧を作れば、誰に一次データを依頼すべきかが決まります。算定ルールの勉強から始めると、いつまでも着手できません。

サプライヤーが排出量データを出せない場合はどうすればいいですか

当面は金額ベースの排出原単位を使った二次データで代用します。ただし二次データは調達額に比例するため、サプライヤーが実際に削減しても数字に反映されません。モデルケースでは、二次データのみの推計1,200 t-CO2に対し、6社を一次データに置き換えると1,074 t-CO2となり、10.5%の差が出ました。

タイ子会社のスコープ1・2は親会社のスコープ3に入るのですか

一般には入りません。GHGプロトコルの会計原則では、資本関係があり連結対象となる子会社の排出量は、原則として親会社の連結ベースのScope1・2に計上されます。Scope3として計上されるのは、資本関係の無い取引先の排出量です。ただし連結の範囲や境界の考え方によって扱いが変わる場合があるため、個別の処理は必ず専門家にご確認ください。

排出量データの収集を仕組み化すると費用対効果は合いますか

モデルケースの独自試算では、年間の正味効果66,060 THBに対して初期費用234,000 THB、単純回収期間は3.5年でした。工数削減だけで見れば速い回収ではありません。仕組み化の主たる価値は、取引を続けるための条件を満たせるようになることにありますが、この価値は仮定が入りすぎるため本記事では金額化していません。

日本の親会社が開示義務化の対象でなければ何もしなくていいですか

そうとは限りません。義務化の直接の対象は2027年3月期時点で約70社から80社ですが、その各社が数百社から数千社のサプライヤーを抱えています。義務化された企業の取引先として、データ提出を依頼される可能性のほうがはるかに高いとお考えください。

まとめ

タイに工場を持つ日系製造業にとって、スコープ3のデータ収集は日本本社だけの話ではなくなりました。タイ工場は親会社にScope1・2データを出す側であると同時に、自社のサプライヤーからカテゴリ1のデータを集める側にも回ります。この2つの向きが同じ時期に走ることを、先に認識しておく必要があります。

制度の時間軸は具体的です。時価総額3兆円以上の企業は2027年3月期から、1兆円以上3兆円未満は2028年3月期から、0.5兆円以上1兆円未満は2029年3月期を目途に、順に義務化が進みます。直接の対象は約70社から80社でも、その取引先として依頼を受ける会社の数は桁違いに多くなります。

モデルケースでは、一次サプライヤー42社のうち排出量データを提出できたのは6社、調達額では35%でした。全社を二次データで推計すると1,200 t-CO2ですが、6社を一次データに置き換えると1,074 t-CO2となり、10.5%の差が出ます。同じ工場の同じ年の数字が、集めたデータの量で動くということです。そして二次データに頼る限り、削減は調達量を減らすことでしか示せません。実際に20%削減したサプライヤーがいても、帳簿上は0 t-CO2の扱いです。

収集を仕組み化すると、年間226.8時間、金額にして102,060 THBの工数が減ります。運用費36,000 THBを引いた正味効果は66,060 THB、初期費用234,000 THBに対する単純回収期間は3.5年です。工数削減だけを見れば速い回収ではありません。仕組み化の本当の価値は取引を続ける条件を満たせることにありますが、これは仮定が入りすぎるため金額化していません。これらはすべて独自試算であり、実在の企業の数値ではありませんので、金額そのものではなく数え方の構造をご覧ください。

まずは購買データを取引先ごとの金額で降順に並べてみてください。何社と取引していて、上位何社で調達額の大半を占めるのか。この一覧が出た時点で、スコープ3のデータ収集を始めるための判断材料の半分は揃います。

どこから手をつけるべきか決まっていない段階でも構いません。TOMAS TECHはタイの日系工場向けに生産管理とエネルギー管理の仕組みを手がけており、購買データの棚卸しと、サプライヤーに何を聞くべきかの整理を一緒に進めるところからのご相談も承っています。導入を前提としないご相談も歓迎ですので、まず自社の調達先を数えてみたいという方はお問い合わせからお声がけください。

参考情報