「タイでの生成AI活用は一通り検討した。次は自社の業務に合わせたAIを作りたい。ただ、その開発をどこで、誰と、どういう体制で進めるのかが決まらない」。タイに拠点を持つ日系製造業から、こうしたご相談が増えています。タイ AI開発という選択肢はコストの安さで語られがちですが、実際に意思決定を左右するのは、人材を採用できるか、BOI優遇を使えるか、データをタイ国外に出せるかという3点です。本記事では開発拠点をタイに置く場合の実務的な制約と、オフショア委託・ニアショア協業・現地法人内製という3つの体制の選び方を整理します。
タイでAIを開発するという選択肢が浮上してきた背景
デジタル経済の成長率は全体GDPの2.2倍という見通し
まず、タイという国のデジタル分野がどの程度の勢いにあるのかを押さえておきます。タイの国家デジタル経済社会委員会事務局(ONDE、報道ではNational Board of Digital Economy and Society Office、BDEとも表記されます)のWetang Phuangsup事務総長は、タイのデジタルGDPが2026年に5兆7,000億バーツ、米ドル換算でおよそ1,718億ドルに達するとの見通しを示しています。この分野の成長率は5.6%で、タイ経済全体のGDP成長率2.5%のおよそ2.2倍にあたります。さらに内訳を見ると、ソフトウェア分野の成長率は9.4%とされ、デジタル分野の中でも高い伸びが見込まれています。この見通しはThe Nation Thailand|Thailand digital economy outlook for 2026が報じています。
この数字が日系企業にとって持つ意味は2つあります。1つは、タイ国内でソフトウェア開発に対する需要そのものが伸びているということです。需要が伸びれば、開発を担う会社も人材も増える方向に動きます。もう1つは、需要が伸びるということは、同じ人材を国内外の企業が奪い合う状況になるということです。この二面性は、後述する人材の論点に直結します。
BOIへの投資申請が急増し、デジタル分野がその伸びを牽引している
政策面の動きも同じ方向を向いています。タイ投資委員会(BOI)への投資申請額は、2026年第1四半期に前年同期比でおよそ2.4倍に伸びたと報じられており、デジタル分野はその伸びを牽引する領域の1つに挙げられています。この動きはVOIX|データセクション、タイ投資委員会よりAIインフラ事業の投資承認を取得でも触れられています。
申請の中身として目立つのは、データセンターとGPUインフラへの大型投資です。データセンター分野では、TikTokの案件を含む6件、総額958億バーツの投資が承認されたとバンコク週報|タイのデータセンター投資承認に関する報道が伝えています。また、日系のデータセクション社がタイでAIインフラ事業の投資承認を取得したことがVOIX|データセクション、タイ投資委員会よりAIインフラ事業の投資承認を取得で報じられています。計算資源への投資が、外資系の大手だけでなく日系企業からも出てきているということです。
ここで注目すべきは、投資の中身が「AIを使うための箱」ではなく「AIを動かすための計算資源」に向かっているという点です。データセンターとGPUがタイ国内に増えるということは、学習や推論の実行環境をタイ国内に置ける可能性が高まるということでもあります。この点は、後述する個人データの扱いを考えるうえでの前提になります。
日本との距離と時差という、地味だが効いてくる条件
タイはバンコクを中心に、ソフトウェア開発のオフショア拠点としての存在感を高めてきました。AI、IoT、VRといった領域の委託開発でコスト競争力があること、そして日本との地理的な近さが挙げられています。この点はTime Doctor|Outsourcing to Thailandなどで指摘されています。
日本とタイの時差は2時間です。日本の午前9時はタイの午前7時、日本の午後6時はタイの午後4時にあたります。つまり、日本側の勤務時間とタイ側の勤務時間はほぼ重なります。成田・羽田からバンコクまでは直行便でおよそ6時間から7時間で、日帰りは難しいものの、週次で人が行き来する運用は現実的な範囲に収まります。
この条件は、欧州や中南米に開発を委託する場合と比べると決定的な差になります。AI開発は仕様が固まりきらないまま走り出すことが多く、「今日試した結果を見て明日の方針を決める」というやりとりが頻繁に発生します。このサイクルを回すうえで、リアルタイムに会話できる時間帯が1日に何時間あるかは、見積書に現れない生産性の差になります。
「AIを導入する」ことと「AIを開発する」ことは別の意思決定である

本題に入る前に、この記事が扱う範囲を明確にしておきます。
タイの日系企業がAIについて検討するとき、実際には性質の異なる3つの意思決定が混ざっていることがよくあります。1つ目は、既製の生成AIサービスを業務で使うかどうかという判断です。2つ目は、AI開発を委託する会社をどう選ぶかという判断です。そして3つ目が、本記事で扱う「開発する場所と体制をどこに置くか」という判断です。
1つ目の「使う」側の論点、つまりタイで生成AIを導入する際に日本の前提が通用しなくなる点や費用の考え方については、タイのAI導入2026で整理しています。2つ目の「開発会社をどう選ぶか」という、国を問わない一般的な基準、たとえば契約形態の違いや見積もりの読み方についてはAI開発会社の選び方2026にまとめています。
本記事が扱うのは3つ目です。開発会社の良し悪しを比べる前に、そもそもタイという場所で開発を回すとどういう制約がかかるのかを見ていきます。具体的には、次の3点です。
- 人材:AI開発を担える技術者を、タイで採用または確保できるのか
- BOI優遇:開発拠点としての投資に、BOIの恩典は使えるのか
- データ:学習データや顧客データを、タイ国外に出してよいのか
この3点は、どの開発会社に頼むかを決める前に自社で判断しておかなければならない事項です。逆に言えば、ここが曖昧なまま見積もりを取り始めると、後から前提が崩れて再検討になります。
論点1|タイでAI開発を担う人材は採用できるのか
開発者不足は複数の調査で指摘されている
タイでAI開発を行う際に最初に突き当たるのが人材です。タイのIT人材市場では、開発者の供給が需要に追いついていない状態が続いていると、複数の調査や業界レポートで指摘されています。AI領域に限っても、必要な人材の供給が数年単位で追いつかないという見方が示されています。この点はAree Technology|2026年のテック人材不足に関する解説やAsia News Network|Thailand AI ambition and skills deficitで扱われています。
ただし、不足の規模を数字で示した資料もありますが、集計の対象範囲や職種の定義が揃っておらず、出典によって数万人から十万人規模までの幅があります。このため本記事では、特定の1つの数字を採用しません。稟議資料に不足人数を引用する場合は、その数字が何を数えたものかを出典に当たって確認してから使ってください。実務の計画に効いてくるのは数字そのものではなく、採用に要する期間と単価が当初想定より上振れしやすい、という帰結のほうです。
AI人材の報酬水準は一般的なIT職より高い
不足が最も分かりやすく現れるのが給与です。人材の供給が需要に追いついていない領域では報酬水準が上がりやすいのが一般的な傾向であり、前述のとおりタイのAI・データ領域でも供給不足が指摘されている以上、AIやデータ領域のスキルを持つ人材の報酬水準が、汎用的なITジェネラリストと比べて高くなっている可能性を前提に予算を組む必要があります。どの程度の上乗せになるかは職種の切り方や経験年数によって変わるため一律には示せませんが、少なくとも一般的なIT職と同じ相場観では採用できないと考えておくべきです。
この差が意味するのは、「タイだから人件費が安い」という前提が、AI領域では単純に成り立たないということです。事務系や一般的なアプリケーション開発の水準を基準に予算を組むと、募集をかけても応募が集まらないという事態が起こります。予算を検討する段階では、一般的なIT職の相場ではなく、AI・データ領域の相場を人材紹介会社などに個別に確認しておく必要があります。
採用できたとしても「日本人駐在員だけでは回らない」
もう1つ、体制設計で見落とされやすい点があります。日本人の駐在員が数名でAI開発をコントロールしようとしても、実務は回りません。理由は3つあります。
- 開発の主戦力はタイ人技術者になるため、技術的な議論は英語またはタイ語で行われる
- 現場データの意味づけには、タイ人オペレーターへのヒアリングが不可欠になる
- 駐在員の任期は数年で切れるが、AIモデルは運用開始後に継続的な手入れが必要になる
3つ目が特に重要です。AI開発は納品して終わりではありません。データの分布が変われば精度は落ちますし、業務が変われば入力そのものが変わります。駐在員の交代でその文脈が失われると、動いていたはずのモデルが誰にも保守できない状態になります。開発の初期段階から、タイ側に運用を引き継げる人を置いておくか、引き継ぎ先となるパートナーを確保しておくかを決めておく必要があります。
人材確保の現実的な選択肢
以上を踏まえると、タイでAI開発人材を確保する道筋は3つに整理できます。1つ目は自社で直接採用することです。2つ目はタイの開発会社に委託することです。3つ目はタイに拠点を持つ日系のシステム会社と組み、そこが抱える人材を活用することです。それぞれの向き不向きは、後半の体制比較で扱います。
論点2|BOI優遇はタイでのAI開発に使えるのか

デジタル産業はBOIの奨励業種に含まれている
タイでの投資を検討する際に必ず出てくるのがBOI、すなわちタイ投資委員会の恩典です。BOIはデジタル産業を奨励業種の1つとして認定しており、ソフトウェア開発やデジタルサービスに関する事業が対象になりえます。恩典の内容としては、機械の輸入関税免除や、業種に応じた法人税の免除といった基本的な措置が用意されています。制度の全体像はJETRO|タイの外資に関する奨励制度に整理されています。
ここで押さえておきたいのは、BOIの恩典が「タイに会社を作れば自動的についてくるもの」ではないという点です。奨励業種に該当する事業内容であること、申請が承認されること、そして承認後の条件を満たし続けることが前提になります。
上乗せ恩典は3つの方向がある
基本の恩典に加えて、一定の条件を満たすと恩典が上乗せされる仕組みがあります。AI開発拠点を検討する場合に関係してくるのは、主に次の3つの方向です。
- 研究開発支出が基準を満たす場合、法人税免除期間が延長される。延長期間は支出の規模に応じて段階的に決まり、上限として最大5年程度の延長が示されている
- 高度技術に関する訓練を実施する場合、追加の恩典が得られる
- 特定の地域に立地する場合、法人税免除期間が加算される。地域によっては3年程度の加算が示されている
AI開発は、この3つのいずれとも相性がよい活動です。モデルの研究開発そのものが研究開発支出になりうること、タイ人技術者への技術移転が高度技術訓練の実態を伴いやすいこと、そして開発拠点は生産設備ほど立地の制約を受けないため、恩典の厚い地域を選びやすいことが理由です。
ただし、具体的にどの支出が研究開発として認められるか、訓練の実施をどう証明するか、延長年数がどの区分に当たるかは、申請内容と制度の最新の運用に依存します。年数や割合といった数値は制度改定で変わりうるため、検討にあたってはBOIの最新の公表資料と、BOI申請の実務を扱う専門家への確認を前提にしてください。本記事の数値はあくまで検討の入口としての目安です。
BOI申請のタイミングを逃さないこと
実務で最も多い失敗が、タイミングです。BOIの恩典は、原則として承認を受けた後の投資と事業活動に対して適用されます。既に機械を輸入してしまった後、既に法人を設立して事業を開始してしまった後に「BOIも使えたらしい」と気づいても、遡って適用することは難しくなります。
AI開発拠点の場合、投資額の中心はハードウェアではなく人件費とクラウド費用になることが多く、「大きな設備投資がないからBOIは関係ない」と判断されがちです。しかし、法人税免除は利益が出た後に効いてくる恩典であり、設備の有無とは別の話です。開発拠点を新設する、あるいは既存法人にAI開発の機能を追加するという意思決定をする段階で、BOI申請の要否を一度は検討のテーブルに載せてください。
GPUをタイ国内に置くという選択肢
前述のとおり、タイ国内ではデータセンターとGPUインフラへの投資が承認されています。これは、学習や推論に必要な計算資源をタイ国内で調達できる可能性が広がっているということです。海外のクラウドを使うか、タイ国内の計算資源を使うかという選択は、単なるコスト比較ではなく、次に述べるデータ越境の論点と直結します。
論点3|学習データと顧客データはタイ国外に出せるのか

PDPAは2022年に完全施行済み
タイの個人情報保護法であるPDPA(Personal Data Protection Act)は、2022年に完全施行されています。日本の個人情報保護法やEUのGDPRと同様に、個人データの取得・利用・第三者提供に関するルールを定めるものです。
AI開発の文脈でこの法律が効いてくるのは、扱うデータに個人データが含まれる場合です。製造業の現場データであっても、作業者のIDや作業時間、顔が映った画像、勤怠情報などが含まれていれば個人データに該当しうるため、「うちは工場のデータだから関係ない」と切り捨てることはできません。
2025年4月に越境データ移転の下位規則が最終化された
PDPAの実務で2026年時点の重要な変化が、越境データ移転に関する下位規則です。2025年4月7日に、この規則が最終化され公表されました。この動きはPwC|タイのデータ関連規制の動向やLexology|Thailand cross-border data transfer rulesで解説されています。
実務上のポイントは、タイ国外のデータ受領者が、PDPAが求めるのと同等の保護水準を有することを証明する必要があるという点です。証明の枠組みとしては、標準契約条項(Standard Contractual Clauses)の締結や、グループ内での拘束的企業準則(Binding Corporate Rules)の整備といった手段が想定されます。
AI開発に引き付けると、これは次のような場面に影響します。
- タイ工場の作業データを日本の本社サーバーに集めて学習させる
- タイの顧客データを、日本または第三国のクラウド上のAIサービスに送って処理させる
- タイ側で収集したデータを、海外の開発委託先に渡してモデルを作らせる
いずれもタイ国外へのデータ移転にあたります。技術的に可能かどうかではなく、法的な手当てができているかどうかが問われます。
設計段階で決めておくべき3つのこと
実務としては、開発に着手する前に次の3点を決めておくことをおすすめします。
- どのデータを、どこで保管し、どこで処理するのかを一覧にする
- 個人データに該当する項目を洗い出し、匿名化や仮名化で越境の対象から外せるかを検討する
- 越境が避けられないデータについて、契約上の手当てをいつ誰が整えるかを決める
2つ目が実務上いちばん効きます。学習に本当に必要なのは作業の時系列や設備の状態であって、個人が特定できる情報ではないことが多いためです。データ設計の段階で個人データを持ち込まない構成にできれば、越境移転の手続きそのものを回避できる場合があります。逆に、いったん個人データを含む形でデータレイクを作ってしまうと、後から切り分けるのは高くつきます。
タイのAI法制はまだ草案の段階にある
もう1点、誤解が生じやすいので明記しておきます。タイにおいてAIそのものを規律する法律は、2026年8月時点でまだ成立していません。タイの電子取引開発庁(ETDA)が2026年7月9日に公表した草案(Draft AI Act)は、2026年8月14日を期限とするパブリックコメントの手続きが進められている段階で、当局は年度内の法案確定を目標としています。成立と施行の時期は決まっていません。論点としては、透明性の確保、自動化された意思決定に関する説明責任、高リスク用途に対するセクター別のルールなどが挙げられています。この点はNorton Rose Fulbright|Thailand’s draft AI lawで解説されています。
ここで注意していただきたいのは、東南アジアの他国と混同しないことです。ベトナムではAIに関する法制が既に施行されていますが、タイはこれとは状況が異なります。両者を一緒に扱った解説記事が流通しているため、社内資料を作る際は「タイのAI法は検討・草案の段階」という前提で書いてください。
実務上の意味は「今は規制がないから自由にやってよい」ではありません。むしろ逆で、近い将来にルールが固まることが分かっている以上、後から要件が追加されても作り直しにならない設計にしておく必要があるということです。具体的には、どのデータで学習したかの記録を残す、モデルの判断根拠を説明できる形にしておく、人が最終判断を行う工程を残しておく、といった設計上の配慮です。これらは現時点で法的に義務づけられていなくても、実装してから追加するより、最初から組み込むほうが安く済みます。
体制の選び方|オフショア開発委託・ニアショア協業・現地法人内製
ここまでの3つの論点を踏まえて、体制の選択肢を比較します。タイでAI開発を進める体制は、大きく3つに整理できます。オフショア開発委託、ニアショア協業、そして現地法人内での内製です。
オフショア開発委託は、タイのローカル開発会社に開発そのものを委託する形です。ニアショア協業は、タイに拠点を持つ日系のシステム会社と組み、日本語での要件定義とタイ現地での実装を組み合わせる形を指します。現地法人内製は、自社のタイ現地法人にAI開発の機能を持たせ、技術者を雇用して内部で開発する形です。
この3つを、意思決定に効く観点で比較すると次のようになります。
| 観点 | オフショア開発委託 | ニアショア協業 | 現地法人内製 |
|---|---|---|---|
| 開発の主体 | 委託先のタイ開発会社 | 日系システム会社と自社の共同 | 自社の現地法人 |
| 立ち上がりの速さ | 速い。契約後すぐ着手できる | 中程度。要件整理から入る | 遅い。採用から始まる |
| 要件の伝わりやすさ | 仕様書の精度に強く依存する | 日本語で背景ごと伝えられる | 社内の文脈を共有しやすい |
| 仕様変更への追従 | 契約範囲の見直しが必要になる | 比較的柔軟に調整できる | 最も柔軟 |
| BOI恩典との相性 | 自社の投資にならないため恩典の対象になりにくい | 自社側の投資部分は対象になりうる | 研究開発支出や技術訓練を計上しやすい |
| PDPA対応の責任分界 | 委託契約で明確に定める必要がある | 共同で設計しやすい | 自社で完結するため管理しやすい |
| ノウハウの蓄積先 | 委託先に残る | 双方に分散する | 自社に残る |
| 向いているケース | 対象業務が明確で、単発の開発である場合 | 業務の理解が必要で、継続的に育てる場合 | AIを継続的な競争力にする方針が固まっている場合 |
この表で最も重要な行は「ノウハウの蓄積先」です。AI開発は、モデルを作る作業そのものよりも、どのデータをどう解釈するかという業務知識のほうが再現しにくい資産になります。これが自社に残らない体制を選ぶと、2本目、3本目のAI案件でも毎回ゼロから外部に説明することになります。
費用の出方も体制によって性質が異なります。金額の相場は要件次第で大きく変わるため、ここでは金額ではなく費用がどのタイミングでどう発生するかという構造で整理します。
| 費用項目 | オフショア開発委託 | ニアショア協業 | 現地法人内製 |
|---|---|---|---|
| 立ち上げ時 | 契約と要件定義の費用が中心 | 要件定義と業務分析の費用が中心 | 採用費用と教育費用が先行する |
| 開発期間中 | 契約額として固定されやすい | 役割分担に応じた変動費になる | 人件費として毎月固定で発生する |
| 運用フェーズ | 保守契約として別途発生する | 保守範囲を自社と分担できる | 既存人員の稼働として吸収できる |
| 変動しやすい要因 | 仕様変更の回数 | 自社側の関与度合い | 採用の成否と定着率 |
内製は毎月の人件費が固定で出ていくため、単発の案件では割高になります。一方で、AI関連のテーマが年に何本も出てくる状況であれば、案件ごとに外注する場合より総額が下がる可能性があります。判断の分かれ目は、開発したいAIが1つなのか、これから継続的に増えていくのかという見通しです。
なお、生産設備の自動化とAI開発では、パートナーに求める性質が異なります。設備側の会社選びについてはバンコクの自動化会社の選び方2026で整理していますので、設備投資と併せて検討している場合は参考にしてください。
3つを組み合わせる現実解
実務では、この3つを排他的に選ぶ必要はありません。よくある落とし所は、最初の1本をニアショア協業で立ち上げて業務の型を作り、並行して現地法人側で1名から2名の技術者を採用して運用を引き継ぎ、定型化できる部分だけをオフショアに切り出すという段階的な移行です。
この進め方の利点は、採用がうまくいかなかった場合でも開発が止まらないことです。人材確保が不確実な領域で、体制の立ち上げと開発の進行を同じスケジュールに乗せてしまうと、どちらかの遅れが全体を止めます。
タイでのAI開発で失敗しやすい5つのポイント
日本側の仕様前提をそのまま持ち込む
最も多い失敗です。日本の工場で使っている帳票や工程の区切り、判断基準をそのまま前提にした仕様書を渡すと、タイ側の現場と噛み合いません。同じ製品を作っていても、工程の分割の仕方、記録のタイミング、例外処理の運用は拠点ごとに違います。AIは現場の実データで学習するため、この差はそのまま精度に跳ね返ります。着手前に、タイ拠点の実際のデータを数週間分見て、日本と何が違うかを洗い出す工程を入れてください。
PDPA対応を後回しにする
「まず動くものを作ってから法務に相談する」という進め方は、AI開発では危険です。学習データの構成は後から変えにくく、越境の可否が後から判明すると、データ収集の設計からやり直しになります。データ設計の段階で、個人データを含むかどうかと、どこで処理するかを決めておいてください。
BOI申請のタイミングを逃す
前述のとおり、恩典は原則として承認後の活動に適用されます。開発拠点の設置や機能追加を決める段階で、BOIの検討を一度は挟んでください。判断の結果として申請しないのであれば、それは問題ありません。検討していなかったために選択肢が消えるのが問題です。
賃金水準を一般的なIT職の相場で見積もる
AI・データ領域の報酬水準は一般的なIT職より高くなります。一般的なIT職の相場で予算を組むと、募集をかけても応募が集まらず、採用計画が半年単位で遅れます。予算の段階で、この領域の相場を別に確認しておいてください。
運用フェーズの担い手を決めないまま開発を始める
AIは納品後に精度が落ちます。データの分布が変わるためです。誰がその変化に気づき、誰が再学習を行うのかを決めないまま開発を始めると、半年後に「精度が落ちたので使わなくなった」という結末になります。開発体制を決める段階で、運用フェーズの担い手も同時に決めてください。
よくあるご質問
タイでAI開発を行うメリットは何ですか
主に3点あります。1点目は日本との時差が2時間で、直行便でおよそ6時間から7時間という近さです。仕様が固まりきらないまま進むAI開発では、リアルタイムに会話できる時間帯の長さが生産性に直結します。2点目はBOIのデジタル産業向け恩典を活用できる可能性があることです。3点目は、タイ国内でデータセンターとGPUインフラへの投資が進んでおり、計算資源をタイ国内に置ける選択肢が広がっていることです。
タイでのAI開発の費用相場はどのくらいですか
一律の相場を示すことは困難です。開発するAIの種類、既存データの整備状況、対象拠点の数によって金額が大きく変わるためです。ただし、費用構造の見通しを立てる際には2点を押さえてください。1点目は、AI・データ領域の人材の報酬水準が汎用的なITジェネラリストより明確に高いと指摘されており、人件費の基準を一般的なIT職の相場に置くと過小評価になることです。2点目は、AI開発では初期開発費だけでなく、運用フェーズの再学習とデータ整備に継続的な費用が発生することです。見積もりを比較する際は、この運用分が含まれているかを確認してください。
BOI優遇は小規模なAI開発でも使えますか
事業内容が奨励業種に該当し、申請が承認されることが前提になります。投資規模が小さい場合でも、対象になる可能性はあります。ただし、恩典の要件や最低投資額などの条件は業種区分ごとに定められており、制度改定でも変わります。自社のケースが該当するかどうかは、BOIの最新の公表資料を確認したうえで、申請実務を扱う専門家に個別に相談してください。
タイにもEUのAI法のような規制はありますか
2026年8月時点で、タイにAIそのものを規律する法律は成立していません。ガバナンス枠組みは草案の段階にあり、法案の確定を目標とした検討とパブリックコメントの手続きが進められている状況で、成立と施行の時期は決まっていません。論点としては、透明性、自動化された意思決定の説明責任、高リスク用途のセクター別ルールが挙げられています。なお、ベトナムでは既にAI関連の法制が施行されており、状況が異なります。両国を同一に扱った解説が流通しているため、社内資料を作る際は区別して記載してください。
タイ工場のデータを日本本社に送って学習させても問題ありませんか
データに個人データが含まれる場合、PDPAの越境データ移転規制の対象になります。2025年4月7日に最終化された下位規則により、タイ国外の受領者がPDPAと同等の保護水準を有することを証明する必要があります。標準契約条項の締結などの枠組みが必要になるケースがあります。作業者IDや顔画像、勤怠情報が含まれていれば個人データに該当しうるため、まず対象データの棚卸しを行い、匿名化や仮名化で越境の対象から外せないかを検討することをおすすめします。個別の判断は法務の専門家にご確認ください。
まとめ
本記事の要点を整理します。
タイでAI開発を行うという選択肢は、デジタル分野の成長とBOI投資の動向という2つの追い風のなかで現実味を増しています。タイのデジタルGDPは2026年に5兆7,000億バーツ、およそ1,718億ドルに達する見通しで、成長率5.6%は経済全体の2.5%のおよそ2.2倍にあたります。ソフトウェア分野は9.4%成長とされています。BOIへの投資申請額は2026年第1四半期に前年同期比でおよそ2.4倍に伸びたと報じられており、デジタル分野はその伸びを牽引する領域の1つに挙げられています。データセンターとGPUインフラへの大型投資も相次いでいます。
一方で、実際に開発を回そうとすると3つの制約が効いてきます。1つ目は人材です。開発者の供給が需要に追いついていない状態が続いていると複数の調査で指摘されており、AI・データ領域の報酬水準は一般的なIT職より高くなります。一般的なIT職の相場で予算を組むと採用が進みません。2つ目はBOIです。デジタル産業は奨励業種に含まれ、研究開発支出、高度技術訓練、地域立地という3方向の上乗せ恩典があります。ただし恩典は原則として承認後の活動に適用されるため、申請のタイミングを逃すと選択肢が消えます。3つ目はデータです。PDPAは2022年に完全施行済みで、2025年4月7日に越境データ移転の下位規則が最終化されました。タイ国外の受領者が同等の保護水準を有することの証明が求められます。
タイのAI法そのものはまだ成立しておらず、法案を確定させる段階の検討が続いている状況です。ベトナムの状況とは異なるため、社内資料では区別して扱ってください。規制がないから自由という意味ではなく、近い将来に要件が固まる前提で、学習データの記録や説明可能性を最初から設計に織り込んでおくことが実務上の備えになります。
体制はオフショア開発委託、ニアショア協業、現地法人内製の3つに整理できます。判断の分かれ目は、開発したいAIが単発なのか継続的に増えるのか、そしてノウハウを自社に残す必要があるかどうかです。実務では、最初の1本をニアショアで立ち上げ、並行して現地法人側で人材を確保し、定型化できる部分をオフショアに切り出すという段階的な移行が現実解になることが多いと考えています。
検討の初期段階でのご相談について
タイでのAI開発は、開発会社を比較する前に、自社の側で決めておかなければならないことが多い領域です。どのデータを使うのか、それをどこで処理するのか、人材を自社で抱えるのか、BOIを検討するのか。この整理ができていないまま見積もりを取り始めると、前提が変わるたびに比較のやり直しになります。
TOMAS TECHはタイの日系製造業の現場を前提に、生産管理システムやIoTによる現場データの収集から、AI活用の検討までをご支援しています。まだ予算も時期も固まっていない、そもそも内製と外注のどちらが自社に合うのか分からない、という段階でも構いません。現状のデータがどこまで使える状態にあるのかを一緒に確認するところから始められます。ご相談はお問い合わせページからお気軽にどうぞ。
参考情報
- The Nation Thailand|Thailand digital economy outlook for 2026
- JETRO|タイの外資に関する奨励制度
- VOIX|データセクション、タイ投資委員会よりAIインフラ事業の投資承認を取得
- バンコク週報|タイのデータセンター投資承認に関する報道
- PwC|タイのデータ関連規制の動向
- Lexology|Thailand cross-border data transfer rules
- Aree Technology|2026年のテック人材不足に関する解説
- Asia News Network|Thailand AI ambition and skills deficit
- Time Doctor|Outsourcing to Thailand
- Norton Rose Fulbright|Thailand’s draft AI law