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2026.08.13

MRPシステム2026|止まるのは計算でなくマスタの鮮度

MRPシステム2026|止まるのは計算でなくマスタの鮮度

MRPシステムを導入して半年から1年が経った工場で、ほぼ例外なく同じ言葉を聞きます。「計算結果を誰も信じていない」。発注提案は毎日出ているのに、購買担当は自分のExcelで再計算し、生産管理は現場に電話で在庫を確認し、結局は導入前と同じ人間の勘で手配が回っている。導入プロジェクトは成功裏に終わったはずなのに、成果だけが消えている状態です。

このとき疑われるのはたいてい「計算エンジンが自社の生産形態に合っていない」「製品選定を間違えた」という話です。しかし現場を分解していくと、原因はほとんどの場合そこにありません。MRPは3つのマスタを入力に取る単純な引き算の機械であり、止まるのは計算ではなく、入力側のマスタの鮮度です。しかもその3つは、それぞれ違う速度で古くなります。そしてタイの工場には、日本の本社が想定していない第4のマスタが存在します。

この記事では、タイに工場を持つ日系製造業の実態に即して、MRPが回らない構造を数字で分解します。とくに「BOM精度98%」という一見悪くない数字が製品単位では49%になることと、稟議書でほぼ必ず起きている在庫圧縮額の二重計上について、途中式まで示して整理します。

MRPシステムとは何を計算しているのか — 入力は3つのマスタだけ

MRP(Material Requirements Planning、資材所要量計画)は、名前が仰々しい割に、やっていることは極めて単純です。

「いつ、何が、いくつ必要か」という総所要量から、「いま持っているもの」と「すでに発注済みで入ってくるもの」を引き、足りない分を、間に合うタイミングで発注する。これだけです。式で書けば、正味所要量 = 総所要量 − 現在庫 − 入庫予定 + 引当済み、となります。

問題は、この引き算に必要な入力が全部マスタから来ることです。具体的には次の3つです。

入力マスタMRPが使う項目これが狂うと何が起きるか
現在庫品目別の実在庫数、引当済み数、入庫予定引く数を間違える。在庫があるのに発注、無いのに発注しない
部品表(BOM)製品1個あたりの構成部品と員数掛ける数を間違える。手配漏れと死蔵在庫が同時に出る
リードタイム/発注ロット調達LT、最小発注単位、発注倍数発注のタイミングと数量を間違える。間に合わない、または一生使い切れない量が届く

MRPは総所要量を展開するとき、生産計画にBOMを掛け合わせます。掛け算を間違えれば必要量が丸ごとずれる。そこから在庫を引くので、在庫が違えば発注量が違う。最後にリードタイムを使って発注日を逆算するので、LTが古ければ日付が違う。つまりMRPの出力の正しさは、3つのマスタの正しさの積で決まります。どれか1つが崩れれば、残り2つがどれだけ精緻でも出力は使えません。

ここを押さえると、よくある誤解が1つ消えます。「MRPシステムを入れれば在庫が減る」という言い方です。MRPは在庫を減らす機能を持っていません。持っているのは、必要量を計算して過不足を可視化する機能だけです。在庫が減るのは、その計算が信頼できるようになった結果として、安全在庫という名の保険を薄くできたときだけです。マスタが古いままなら、MRPは「信頼できない計算結果」を毎日大量に生産する装置になり、現場はそれを打ち消すために手作業の保険在庫を増やします。導入後にむしろ在庫が増える工場があるのは、この経路です。

生産管理システムの導入が期待どおりに機能しない典型的なパターンについては、生産管理システムの導入が失敗する理由でも整理していますが、MRPに限れば失敗の重心は明確にマスタ側にあります。

MRPシステムが回らない本当の理由|マスタは3つとも別の速度で古くなる

導入プロジェクトでは、この3つのマスタを同じ日に「正しい状態」に揃えます。BOMを棚卸しし、実地棚卸で在庫を合わせ、サプライヤに最新のリードタイムを確認する。カットオーバー当日、3つのマスタは確かに正しい。

問題は翌日からです。3つは別々の速度で古くなり始めます。しかもその速度差が、劣化を見えなくします。

あるタイの日系部品メーカー(以下、本記事のモデル工場)で、導入1年後に3つのマスタの乖離を実測した結果が次のとおりです。

マスタ年間の実変化システム未反映乖離率
部品表(BOM)設計変更 210件42件20.0%
在庫620品目の棚卸差異 74品目11.9%
リードタイム/発注ロットサプライヤ変更 96件75件78.1%

計算はそれぞれ、42 ÷ 210 = 20.0%、74 ÷ 620 = 11.9%、75 ÷ 96 = 78.1% です。

MRPシステム2026|止まるのは計算でなくマスタの鮮度 - figure 1

最も古いのは、誰も更新担当を決めていないリードタイムと発注ロット

この表を見せると、多くの工場長はまずBOMの20.0%に反応します。しかし本当に危険なのは78.1%のほうです。順に見ていきます。

部品表(BOM)は設計変更の速度で古くなる — E-BOMとM-BOMの乖離

BOMが古くなる速度は、設計変更の頻度で決まります。モデル工場では年210件、営業日換算でほぼ毎日1件です。このうち42件がシステムに反映されていませんでした。

反映漏れが起きる場所はだいたい決まっています。設計部門が持つE-BOM(設計部品表)と、製造部門が使うM-BOM(製造部品表)の間です。E-BOMは製品の機能構造で組まれ、M-BOMは組立の工程順と実際に発注する単位で組まれます。同じ製品を表しているのに粒度が違うため、E-BOMの変更をM-BOMに落とす作業は自動化されず、人が翻訳します。ここで落ちる。

日本本社で設計変更が決まり、図面はタイに届いているのに、M-BOMの更新はタイ側の生産技術が手空きのときにやる、という運用になっている工場は珍しくありません。図面は届いているので誰も「情報が来ていない」とは言わない。しかしMRPが参照するのはM-BOMだけです。

この乖離が生む症状は2つで、必ずセットで出ます。1つは廃止部品の手配が続くことによる死蔵在庫。もう1つは新規部品の手配漏れによる欠品。「在庫は多いのに欠品する」という現場の実感は、多くの場合この2つが同時に起きているだけであって、在庫量の問題ではありません。

在庫は毎日の速度で古くなる — 発注点管理システムが空振りする仕組み

在庫マスタの劣化速度は、3つのなかで最も速い。入出庫が発生するたびに、記帳と現物がずれる可能性が生まれます。モデル工場では620品目のうち74品目、11.9%で差異が出ていました。

数字だけ見ればBOMの20.0%より小さく見えますが、意味は違います。BOMの乖離は「変更があった品目」に限定されるのに対し、在庫の乖離は全品目に対して、しかも毎日発生します。年1回の実地棚卸で合わせても、合っているのは棚卸の当日だけです。

在庫が狂っているときに最初に壊れるのは、実はMRPではなく発注点管理です。発注点管理システムは「在庫が発注点を下回ったら発注する」という仕組みなので、参照する在庫数が実際より多ければ、発注点を下回ったことに気づけません。気づいたときには現物がゼロで、特急手配になる。逆に実際より少なければ、必要のない発注が出て在庫が積み上がる。発注点は在庫数という単一の入力しか見ていないぶん、在庫精度の悪化がそのまま出力の誤りになります。

在庫の考え方そのもの、たとえば適正在庫を安全在庫とサイクル在庫に分けて設計する方法は適正在庫管理の考え方で扱っています。ここで押さえておきたいのは、安全在庫の式(安全係数 × 需要の標準偏差 × √(リードタイム + 発注間隔))にリードタイムが入っている、という点です。つまり在庫の適正値を決める計算にも、3つ目のマスタが埋め込まれています。

リードタイムと発注ロットは社外の速度で古くなる — 乖離率78.1%の盲点

そして最悪なのがここです。乖離率78.1%。サプライヤ側で起きた96件の変更のうち、75件がシステムに反映されていませんでした。

なぜこれほど放置されるのか。理由は単純で、更新担当者が決まっていないからです。BOMには設計変更という業務プロセスがあり、変更管理の書式があり、承認者がいる。在庫には棚卸という年中行事があり、経理という利害関係者がいる。しかしリードタイムと発注ロットの変更は、サプライヤの営業担当からのメール1本で伝わり、購買担当の頭のなかで処理されて終わります。マスタを更新する義務を負っている人が組織図のどこにもいない。

さらに厄介なのは、これが社外の速度で変わる点です。BOMは自社の設計判断、在庫は自社の作業品質ですが、リードタイムはサプライヤの生産能力、物流の混雑、原材料の市況で動きます。自社が何もしていなくても古くなる。

そして症状が出にくい。LTが実態より短く登録されていれば、MRPは「まだ発注しなくていい」と判断し続け、発注は毎回ぎりぎりになります。発注ロットが古ければ、発注のたびにサプライヤから「その数量では受けられない」と電話が来て、購買担当が手で数量を直します。どちらも人が吸収してしまうので、システムの数字が間違っているという事実がマネジメント層まで上がってきません。乖離率78.1%は、そうやって誰にも見えない場所で溜まります。

BOM精度98%が意味するもの|品目単位と製品単位のギャップ

ここから、この記事でいちばんお伝えしたい論点に入ります。

BOM精度は、ふつう品目単位で語られます。「うちのBOM精度は98%です」という言い方です。全登録品目のうち98%が正しい、という意味で、悪くない数字に聞こえます。

しかし、MRPが失敗するかどうかが決まるのは品目単位ではありません。製品単位です。ある製品を手配するとき、その製品を構成する部品の1つでも所要量が間違っていれば、その製品の手配は失敗します。ほかのすべての部品が正しくても、1点が間違っていれば、ラインは止まります。

したがって、1製品あたりの平均部品点数を n、品目単位のBOM精度を p とすると、その製品の所要量計算が全部品で正しい確率は p^n になります。各品目の誤りが独立に起きると仮定した場合の値です。

モデル工場の1製品あたり平均部品点数は35点です。この n = 35 を入れて計算します。

品目単位のBOM精度製品単位で全部品が正しい確率
98.0%49%
99.0%70%
99.5%84%
99.9%97%
MRPシステム2026|止まるのは計算でなくマスタの鮮度 - figure 2

品目98%は製品49%。BOM精度は品目単位で語ると必ず過大評価になる

数字の意味を分解します。品目単位98.0%を35乗すると49.3%。品目単位で98.0%という「悪くない」精度は、35点構成の製品では、2製品に1製品で手配が狂う状態を意味します。生産計画に載っている製品の半分で、何かしらの部品が足りないか余っている。これは現場の実感と一致するはずです。

99.0%まで上げても、製品単位では70.3%にしかなりません。3製品に1製品はまだ狂う。99.5%まで上げても83.9%で、失敗する製品はまだ相当数残ります。製品単位で実用に耐える水準、つまり96.6%に届くのは、品目単位で99.9%に達したときだけです。

ここから2つのことが言えます。

1つ目。品目単位のBOM精度を目標値に使うなら、目標は99.9%に置くしかありません。「まず98.0%を目指しましょう」という改善計画は、達成しても製品の半分が失敗する状態に到達するだけです。中間目標としても意味を持ちません。品目単位で見れば98.0%と99.9%はわずかな差ですが、製品単位では49%と97%、つまりほぼ倍の開きになります。改善投資のリターンは、精度の上限に近いところに集中しています。

2つ目。部品点数が多い製品ほど、この効果は非線形に効きます。同じ品目精度98%でも、部品点数が10点の製品と60点の製品では、製品単位の成功率がまったく違います。個別受注生産や多品種少量で構成点数が膨らむ工場ほど、品目単位の精度指標は実態を過大評価します。「BOM精度は良好です」という報告書が現場の混乱と両立してしまうのは、そもそも指標の取り方が製品単位の失敗率を映していないからです。

なお、この計算は誤りが独立に起きるという前提を置いています。実際には、同じ設計変更に紐づく複数部品がまとめて間違っているといった相関があるため、厳密な確率はこれよりも高く出ることがあります。それでも結論の向きは変わりません。品目単位の精度は、製品単位の実力より必ず良く見える、という一方向のバイアスがかかります。

タイ工場の第4のマスタ|BOIのmax stockとフォーミュラという別台帳

ここまでの3つのマスタは、どの国の工場にも共通します。しかしタイに工場を持つ場合、実質的に第4のマスタが存在します。BOIの原材料台帳です。

BOI(タイ投資委員会)の恩典を使って原材料を免税輸入している場合、その原材料は税務上、通常の在庫とは別の枠組みで管理されます。品目ごとに承認された max stock(免税で保有できる最大数量)があり、製品1個あたりの原材料使用量を定義したフォーミュラがあります。輸入した数量から、フォーミュラに基づいて計算された使用量を差し引いていくことで、免税で保有している原材料の残高が管理される。つまり、実在庫台帳とは別に、税務上の在庫台帳がもう1本走っています。

輸入通関の場面でも、BOIの減免税認可書と輸入申告書類が照合されます。台帳が実態と合っていないことは、単なる管理精度の問題では済みません。

ここで効いてくるのが、フォーミュラと実際のBOMの関係です。フォーミュラはBOM由来の数値ですが、BOMのように設計変更のたびに更新されるものではありません。設計変更で員数が変われば、実際の原材料消費は変わりますが、BOIに登録したフォーミュラは変わらない。前節で見たBOMの乖離が、同じ経路をたどってこの第4の台帳とのズレに波及していきます。BOMの乖離率20.0%がそのままフォーミュラの乖離率になるわけではありませんが、更新されないまま放置されるという性質は共通です。

つまりタイ拠点では、マスタの誤差が2つの経路で効きます。1つは欠品と過剰在庫という生産・資金の経路。もう1つは税の経路です。日本の本社が「BOM精度も在庫精度も98%あれば十分」と考えているとすれば、それは1つ目の経路しか見ていない基準です。

タイの部材調達リードタイムは2026年に何が起きているか

3つ目のマスタであるリードタイムは社外の速度で古くなる、と述べました。では2026年のタイで、その社外の速度はどうなっているか。

S&P Globalが公表したタイ製造業PMIは、2026年7月に54.2でした。6月の53.6から上昇し、2025年12月以来の高水準です。50が拡大と縮小の境目なので、製造業の活動は明確に拡大側にあります。

ただし、購買担当が見るべきなのは総合指数ではなく内訳のほうです。同じ調査で、購買活動は3月以来の速さで増加し、投入財の納期は小幅ながら長期化し、受注残は積み上がっていると報告されています。

この3つが同時に起きている状態は、調達側から見ると意味が明確です。周囲の工場が一斉に発注を増やしており、サプライヤの受注残が伸び、その結果として納期が延び始めている。マスタに登録されたリードタイムは、需要が弱かった時期に確認した値である可能性が高い。景気が拡大に転じる局面は、リードタイムマスタが最も速く古くなる局面です。

さらにタイの場合、部材の相当部分が輸入で、海上輸送と航空輸送の両方が調達LTに乗ります。海上輸送はコストが低い代わりに変動幅が大きく、混雑や船繰りの影響を直接受けます。航空輸送は速い代わりに単価が高く、実務上は特急手配の受け皿として使われます。ここが重要なのですが、リードタイムマスタが古いまま欠品が発生すると、その穴埋めは自動的に航空輸送、つまり特急手配になります。マスタの鮮度の欠如は、輸送費という形で毎月請求書に現れています。

タイ拠点で在庫精度目標を日本より高く置くべき理由

以上を整理すると、タイ拠点で在庫精度と部品表精度の目標を日本より高く置くべき理由は3つあります。

第1に、誤差が税務リスクに直結すること。BOIの原材料台帳は実在庫と整合している必要があり、この整合は在庫精度とBOM精度の両方に依存します。日本の工場では在庫差異は棚卸差損として処理されて終わりますが、タイでは第4の台帳との突合が残ります。

第2に、リカバリーコストが高いこと。欠品したときに国内サプライヤから翌日に持ってこられる日本と、輸入部材で航空便を手配するタイでは、1件あたりの復旧コストが違います。同じ在庫精度でも、精度不足がもたらす金額的なダメージが大きい。

第3に、リードタイムが長い分、誤りが顕在化するまでの時間が長いことです。調達LTが長ければ、今日の計算ミスが欠品として現れるのは数週間後です。そのときにはすでに次の計算ミスが積み上がっている。誤りの検出が遅れる系では、そもそも誤りを入れない側の精度を上げるしかありません。

MRPシステムの導入効果とROI|過剰在庫削減額を毎年積んではいけない

ここからは投資対効果の話です。この記事でお伝えしたい2つ目の論点は、稟議書でほぼ必ず起きている計算の誤りについてです。

モデル工場の前提

計算の前提を先に置きます。

項目
部品・原材料の品目数620 品目
1製品あたり平均部品点数35 点
年間の部材購入額57,600,000 THB
1日あたり部材消費額157,808 THB
現状の部材在庫9,600,000 THB(在庫日数 61日)
MRP後の在庫日数46日(▲15日)
在庫圧縮額2,367,000 THB(一度きり)

途中式を示します。1日あたり部材消費額は 57,600,000 ÷ 365 = 157,808 THB。現状の在庫日数は 9,600,000 ÷ 157,808 ≒ 60.8日で、以下では61日と表記します。MRPによって安全在庫の積み増しを薄くできた結果、在庫日数が46日になるとすると、削減は約15日分。在庫圧縮額は 157,808 × 15 ≒ 2,367,000 THB(千THB単位に丸め)です。

繰り返しますが、この15日の圧縮は自動的には起きません。マスタが3つとも信頼できる状態になって初めて、現場が「保険としての余分な在庫」を手放せるようになる、という条件付きの数字です。在庫の持ち方そのものを比較検討する段階であれば、工場の在庫管理システム比較も併せてご覧ください。

継続効果の内訳

毎年発生する効果は3つです。

項目計算年額 THB
在庫圧縮の保管費2,367,000 × 6%142,020
欠品による特急手配の減(24件 − 8件) × 38,000 THB608,000
所要量計算・突合の工数削減(768h − 216h) × 380 THB/h209,760
継続効果 合計959,780

1行目。在庫が2,367,000 THB減ると、その在庫を置いておくための費用が毎年浮きます。倉庫面積、棚、保険、入出庫と棚卸の手間、劣化と陳腐化による廃却。これらを在庫金額の6%とすると、2,367,000 × 0.06 = 142,020 THB/年です。減った在庫そのものが毎年さらに減ることはありませんが、その在庫を持ち続けるために毎年かかっていた費用は、翌年以降も発生しなくなります。一度きりの資金解放(2,367,000 THB)と、毎年消える維持費用(142,020 THB)は別物です。 ここが後の議論の分かれ目になります。

なお、ここで資金の機会費用(寝ていた運転資金の金利相当)を上乗せしていないのは、意図的です。解放された2,367,000 THBは、後述のとおり初期投資の相殺に一度だけ充てます。その元本を投資の支払いに使いながら、同じ元本が外部で生むはずだった利回りも毎年受け取る、という前提は同居できません。この記事が批判している二重計上と同じ型なので、保管費だけを継続効果に置いています。

2行目。特急手配の件数が年24件から8件に減るとします。1件あたりの追加費用(航空便への切り替え、小ロット割増、社内の対応工数)を38,000 THBとすると、(24 − 8) × 38,000 = 608,000 THB/年。この項目がモデル工場では最大です。タイの輸入部材構成では、欠品1件の復旧コストが高いためです。

3行目。所要量の手計算と、Excelとシステムの突合に費やしていた工数が年768時間から216時間に減るとします。人件費を時間あたり380 THBとすると、(768 − 216) × 380 = 209,760 THB/年。

合計すると、142,020 + 608,000 + 209,760 = 959,780 THB/年です。

投資側は次のとおりです。

項目THB
生産管理システム(MRP含む) ライセンス+構築2,600,000
マスタ整備(BOM棚卸・在庫精度の立ち上げ)900,000
初期投資 合計3,500,000
年間保守390,000 /年

注目していただきたいのは、初期投資3,500,000 THBのうち900,000 THBがマスタ整備に充てられている点です。この記事の趣旨からすれば当然の配分ですが、実際の見積では、この行が「導入支援」に埋もれてゼロ査定になっていることがよくあります。マスタ整備の予算を削った導入は、システムだけが正しく動く導入になります。

年間保守390,000 THBを差し引くと、年間純便益は 959,780 − 390,000 = 569,780 THB/年です。

正しい回収年数 2.0年と、誤った 1.3年

さて、ここからが本題です。

在庫圧縮額の2,367,000 THBは、一度きりの運転資金の解放です。在庫を61日分から46日分に落としたとき、そのタイミングで15日分の資金が現金に戻ります。しかし翌年、在庫はすでに46日分になっているので、そこからさらに勝手に減ることはありません。つまり2,367,000 THBは、年次効果ではなくキャッシュフロー上の一回限りの入金です。

したがって正しい扱いは、初期投資から差し引くことです。

  • 実質投資 = 3,500,000 − 2,367,000 = 1,133,000 THB
  • 回収年数 = 1,133,000 ÷ 569,780 = 2.0年

一方、稟議書で頻繁に見るのは次の計算です。在庫圧縮額を毎年の効果として計上してしまうパターン。

  • 誤った年間純便益 = 2,367,000 + 608,000 + 209,760 − 390,000 = 2,794,760 THB/年
  • 誤った回収年数 = 3,500,000 ÷ 2,794,760 = 1.3年

この誤りには、気づきにくい理由が2つあります。1つは、回収年数の差が1.3年と2.0年で、どちらも「2年前後で回収」の範囲に収まって見えること。稟議のレビューで止まる差ではありません。もう1つは、在庫圧縮額を年次効果に積むと、142,020 THBの保管費の行が消えて2,367,000 THBに置き換わる形になり、表面上は項目が整理されたようにすら見えることです。

しかし、この誤りは年数が経つほど拡大します。

MRPシステム2026|止まるのは計算でなくマスタの鮮度 - figure 3

在庫圧縮を毎年の効果に積むと、5年で6.1倍に膨らむ

5年間の累計純キャッシュで比較します。

5年累計の純キャッシュ
正しい計算2,367,000 + 569,780 × 5 − 3,500,000 = +1,715,900 THB
誤った計算2,794,760 × 5 − 3,500,000 = +10,473,800 THB
8,757,900 THB(6.1倍の過大評価)

正しい計算では、初年度に在庫圧縮の2,367,000 THBが1回だけ入り、その後は毎年569,780 THBが積み上がるため、累計は1,715,900 THBになります。誤った計算では、2,367,000 THBが5回入金される前提になるため、累計は10,473,800 THBに膨らみます。差は8,757,900 THB、倍率にして約6.1倍です。

図で1年目だけ正しい線のほうが上に来ているのは、初年度に在庫圧縮の2,367,000 THBが一括で入るためです。2年目以降は誤った計算のほうが毎年2,367,000 THBを重ねて加算するので、1年を少し過ぎたあたりで追い越し、その後は開く一方になります。

実務上、何が起きるか。稟議書に「MRP導入で5年間1,000万THBの効果」と書いた場合、3年目の実績報告でこの数字を説明する担当者が必要になります。誤った計算が3年目に約束していた累計は4,884,280 THB。一方、実際のキャッシュ効果は3年目終了時点で576,340 THBの累計プラスであり、投資回収を終えた直後の数字としては悪くありません。しかし約束に対しては1割強にしか見えない。そこで起きるのは、効果測定の定義を変えて辻褄を合わせる作業か、あるいは「MRP導入は失敗だった」という結論です。どちらも、システムの実力とは無関係な理由で起きます。

投資判断で在庫圧縮を扱うときの原則はシンプルです。ストック(在庫残高)の変化は一度きり、フロー(毎年の費用)の変化は継続。この2つを同じ表に混ぜて足さない。在庫圧縮額を初期投資から差し引く形にしておけば、混ざりようがありません。

なお、正しい計算のほうも十分に良い投資です。2.0年で回収し、5年累計で1,715,900 THBのプラス。過大評価をやめても「やる価値がある」という結論は変わりません。変わるのは、3年後に説明できるかどうかだけです。

個別受注生産・多品種少量でMRPが効く条件と効かない条件

「うちは個別受注生産だからMRPは合わない」という声をよく聞きます。半分正しく、半分は前提の置き方の問題です。

MRPが効く条件を整理すると、次のようになります。

条件効く場合効かない場合
BOMの存在受注時点で構成部品が確定する設計と製造が並行し、着工後もBOMが変わり続ける
部品の共通性製品は違っても部品の相当部分が共通製品ごとに部品がほぼ全数個別
調達LTと納期の関係調達LTが受注から納期までの期間より短い調達LTのほうが長く、受注前に手配が必要
需要の見え方内示や受注残から一定期間先が見える受注が来るまで何も分からない

多品種少量であること自体は、MRPの適合性を左右しません。品種が多いほど人手の所要量計算は破綻しやすいので、むしろ計算機の出番です。問題になるのは、右列の条件、とくに「着工後もBOMが変わり続ける」ケースです。

ただし、ここで注意が必要です。「BOMが確定しないからMRPは無理」と言う工場の一部は、実際にはBOMを確定させる業務プロセスがないだけ、という場合があります。設計変更の管理ルールがなく、図面が個人のPCにあり、M-BOMへの反映が誰の仕事でもない状態を「当社は個別受注生産だから」と説明している。この2つは切り分けて診断する必要があります。前者なら計算方式を変える(製番管理や、共通部品だけMRP、個別部品は製番引当というハイブリッド)話ですが、後者ならマスタ運用の設計の話であり、システムを変えても解決しません。

調達LTと納期の関係も重要です。タイの工場では輸入部材の調達LTが受注から納期までの期間を超えることが多く、その場合は受注前の見込み手配が不可避になります。この領域はMRPではなく、内示情報と過去実績から先行手配量を決める判断の領域です。共通部品は見込みで在庫を持ち、個別部品は受注後にMRPで展開する、という二段構えが現実的な解になります。この切り分けを設計せずにMRPを全品目に適用すると、「計算結果が実態に合わない」という感想だけが残ります。

導入の進め方|マスタ鮮度を維持する運用設計

最初の乖離率の表に戻ります。BOM 20.0%、在庫 11.9%、リードタイム/発注ロット 78.1%。この3つの数字を導入後も低く保つ仕組みを作ることが、MRP導入プロジェクトの実質的な中身です。

マスタごとに更新責任者と更新頻度を決める

まずやるべきことは、極めて事務的です。3つのマスタそれぞれについて、更新のトリガー、責任者、頻度、そして測定方法を紙に書いて決めることです。

マスタ更新のトリガー決めるべきこと測定指標
部品表(BOM)設計変更の発行E-BOMからM-BOMへの反映を誰がいつまでにやるか、完了をどう確認するか設計変更件数に対する未反映件数の比率
在庫入出庫の都度記帳のタイミング、実地との照合をいつやるか循環棚卸での差異品目率
リードタイム/発注ロットサプライヤからの通知、実績との乖離誰がサプライヤ変更を受け取り、いつマスタに反映するか変更件数に対する未反映件数の比率

3つ目の行が、ほとんどの工場で空白のままになっています。ここを埋めるだけで、乖離率78.1%は大きく下がります。方法は難しくありません。発注実績と入庫実績から実績リードタイムを自動で集計し、マスタ値との乖離が一定を超えた品目を月次でリスト化して、購買担当が確認する。この程度の仕組みで、社外の速度で古くなるマスタに、社内の更新サイクルを与えることができます。

発注そのものの運用と併せて設計する場合は、受発注管理システムの整理も参考になります。

もう1つ、測定指標を決めることの意味を強調しておきます。乖離率が測定されていない状態では、マスタの劣化はマネジメントに見えません。見えないものは改善対象になりません。MRP導入の成否を「システムが動いているか」で測るのをやめて、「3つの乖離率が何%か」で測るように変えることが、運用設計の本体です。

在庫精度は「サイクルカウント」で毎日測る

在庫マスタについては、年1回の実地棚卸では鮮度を保てません。棚卸の翌日から次の棚卸までのあいだ、在庫精度は測定されないまま劣化し続けます。

代わりに使うのがサイクルカウント(循環棚卸)です。全品目を一度に数えるのではなく、毎日少数の品目を数え、一定期間で全品目を一巡させる。モデル工場の620品目であれば、1日あたり数品目を数えるだけで、年に複数回すべての品目を巡回できます。ラインを止める必要がなく、日次の作業として定着させられる点が実務上の利点です。

サイクルカウントの本質は、在庫を合わせることではなく、差異の原因を毎日見つけることにあります。年1回の棚卸で74品目の差異が出ても、その差異がいつ、なぜ発生したのかは追えません。毎日数えていれば、差異が出た品目について「直近の入出庫はどれか」を追跡でき、記帳漏れなのか、置き場違いなのか、員数違いによる払い出し超過なのかを特定できます。最後のケースは、実はBOMの誤りが在庫差異として現れているものです。3つのマスタは独立ではなく、こうして互いの誤りを露出させます。

優先順位をつける場合は、金額が大きい品目と、動きが速い品目を高頻度で数えます。620品目すべてを同じ頻度で扱う必要はありません。

よくある質問(FAQ)

MRPシステムとERP・生産管理システムの違いは?

MRPは機能の名前で、ERPと生産管理システムは製品カテゴリの名前です。MRPは「必要な資材の数量と時期を計算する機能」を指し、多くの生産管理システムやERPの一部として実装されています。したがって「MRPシステムとERPのどちらを選ぶか」という比較は、実際には成立しません。検討すべきなのは、選定した生産管理システムまたはERPのMRP機能が、自社の生産形態(見込生産か受注生産か、製番管理が必要か)に対応しているかどうかと、3つのマスタを維持する運用に載せられるかどうかです。

MRPシステムの費用相場は?

モデル工場の規模(部品・原材料620品目)では、ライセンスと構築で2,600,000 THB、マスタ整備で900,000 THB、初期投資合計で3,500,000 THB、年間保守が390,000 THBという構成になります。品目数、拠点数、既存システムとの連携範囲で変わるため、この数字は規模感の目安としてご覧ください。重要なのは総額よりも内訳です。マスタ整備の予算が計上されていない見積は、導入後の乖離率を管理する費用が誰の予算にも乗っていないことを意味します。

資材所要量計画はエクセルでもできる?

計算そのものは可能です。実際、多くの工場がExcelで所要量展開をしています。問題になるのは計算能力ではなく、3つのマスタの更新をExcelで管理し続けられるかどうかです。設計変更が年210件発生する環境で、BOMシートを手作業で更新し、複数の担当者が別々のファイルを持つと、乖離率は上がる方向にしか動きません。モデル工場では所要量計算と突合に年768時間を使っていました。判断の分かれ目は、この工数と、マスタの一元管理を人手で維持できるかどうかです。

在庫精度は何%あればMRPが実用になる?

在庫精度単体で答えを出すことはできません。MRPの出力の正しさは在庫・BOM・リードタイムの積で決まるからです。ただし考え方の基準は示せます。BOM精度については、35点構成の製品で製品単位の成功率96.6%を得るには、品目単位で99.9%が必要でした。在庫についても同じ方向のバイアスが働きます。ただし棚卸差異率をそのまま部品点数で累乗するのは過大です。差異は特定の品目や保管場所に偏って出るため、独立に起きる前提が成り立たないからです。それでも、モデル工場の在庫差異11.9%という水準が、品目単位で見た印象よりはるかに多くの製品の手配に影響しているのは確かです。目標は、年1回の棚卸で合わせる運用から、サイクルカウントで日常的に差異品目率を測る運用に切り替えたうえで、その指標を下げ続けることに置くのが現実的です。

欠品防止システムとMRPはどう違う?

欠品防止を目的とした仕組みの多くは発注点管理です。在庫が一定水準を下回ったら発注する、という反応型の方式で、設定が単純で運用しやすい一方、参照する在庫数が実態とずれると気づけません。MRPは生産計画から先の必要量を計算する予測型で、需要の変動が事前に分かる場合に強い。両者は排他ではなく、動きが速く安価な共通部品は発注点管理、金額が大きく計画に紐づく部品はMRP、という使い分けが実務的です。ただしどちらも入力は同じマスタなので、マスタが古ければ両方とも空振りします。

まとめ

MRPシステムが回らない原因は、計算エンジンでも製品選定でもなく、入力側のマスタの鮮度です。要点を整理します。

  • MRPの入力は現在庫・部品表(BOM)・リードタイム/発注ロットの3つで、出力の正しさは3つの積で決まる
  • 3つは別の速度で古くなる。BOMは設計変更の速度(乖離率20.0%)、在庫は毎日の速度(11.9%)、LT/発注ロットは社外の速度(78.1%)。最も放置されているのは更新責任者が決まっていない3つ目
  • BOM精度は品目単位で語ると必ず過大評価になる。35点構成の製品では、品目98.0%は製品49%、99.0%で70%、99.5%で84%。実用水準の97%に届くのは品目99.9%のときだけ
  • タイ拠点にはBOIのmax stockとフォーミュラという第4の台帳があり、在庫・BOMの誤差が税の経路にも効く。2026年7月のPMIは54.2と拡大局面で、投入財の納期は長期化方向にあり、リードタイムマスタが最も速く古くなる時期にある
  • ROI試算では、在庫圧縮額2,367,000 THBは一度きりの運転資金解放として初期投資から差し引く。正しい回収年数は2.0年、毎年の効果に積む誤りでは1.3年と、差は小さく見えるが、5年累計では1,715,900 THBと10,473,800 THBで6.1倍ずれる
  • 導入プロジェクトの実質的な中身は、3つのマスタそれぞれに更新責任者・更新頻度・測定指標を割り当てることと、在庫についてはサイクルカウントで日次に測る運用を作ること

そして最後にもう一度。MRPを入れれば在庫が減るわけではありません。在庫が減るのは、マスタが正しくなった結果として、現場が保険としての在庫を手放せるようになったときだけです。

TOMAS TECHでは、タイの日系製造業向けに生産管理・在庫管理の仕組みづくりを支援しています。「まず自社の3つのマスタが今どのくらい古いのかを測ってみたい」「稟議書の効果算定の置き方が正しいか第三者の目で見てほしい」といった、導入を決める前の検討段階でのご相談も歓迎しています。現状の課題整理からでも、お問い合わせよりお気軽にご連絡ください。

参考情報