適正在庫の管理は、公式に数字を入れて答えを出す作業ではない。タイの国家統計を見ると、在庫を「持つ」コストは物を「運ぶ」コストとほぼ同じ規模にある。NESDCの推計では、2024年のタイの在庫保管費は1,122.1十億バーツ、輸送費は1,200.6十億バーツ。両者の差はわずかである。それでも多くの工場で、輸送費には稟議が回り、在庫保管費には誰も署名しない。本記事では、適正在庫を「5つの層をそれぞれ誰がいつ見直すか」という運用設計として捉え直し、何を決めれば数字が動くのかを整理する。
適正在庫とは何か——安全在庫との違いを一度整理する
現場で「適正在庫」と「安全在庫」は混同されて使われる。両者は別物であり、混同したまま議論すると、削減目標と欠品防止が同じ会議の中で衝突し続けることになる。まず定義から揃える。
適正在庫=安全在庫+サイクル在庫
適正在庫は、性質の異なる2つの在庫の合計として理解するのが実務的である。
| 区分 | 何のための在庫か | 決まり方 | 減らせるか |
|---|---|---|---|
| サイクル在庫 | 次の入荷までの間、通常の消費を賄うための在庫 | 発注間隔とリードタイムと平均消費量で決まる | 発注間隔を短くすれば減る(=発注回数は増える) |
| 安全在庫 | 消費とリードタイムがぶれたときに欠品しないための在庫 | ばらつきの大きさと、どこまで欠品を許すかで決まる | ばらつきを小さくするか、欠品許容率を上げれば減る |
一般的に使われる計算式は次の通りである。これは特定の一次情報ではなく、生産管理の実務で広く用いられている定説として扱う。
- 安全在庫 = 安全係数 × 使用量の標準偏差 × √(発注リードタイム+発注間隔)
- 適正在庫 = 安全在庫 + サイクル在庫
- 別の書き方として、適正在庫 =(1日あたり平均出庫量 ×(発注間隔+リードタイム))+ 安全在庫
- 発注点 = 1日あたり平均出庫量 × リードタイム + 安全在庫
安全係数は、どこまで欠品を許すかで決まる。一般的には、欠品許容率5%(=サービス率95%)のときに1.65を用いる。ここで押さえておきたいのは、安全係数は技術的なパラメータではなく経営判断であるという点である。サービス率を99%に上げれば係数は上がり、安全在庫は増える。全品目を99%にする必要はまずない。品目ごとに「欠品したときに何が起きるか」を分けて考えなければ、この係数は決められない。
この2つの式を並べて分かるのは、適正在庫の大部分はサイクル在庫であり、安全在庫は上乗せ分にすぎないという構造である。発注間隔14日、リードタイム14日、1日あたり平均出庫100個の品目なら(以降の章では発注間隔7日の例を使うので、ここだけ前提が異なる点に注意してほしい)、安全在庫以外の部分(発注間隔分のサイクル在庫と、リードタイム中に消費される分)は合わせて100 × 28 = 2,800個になる。一方で安全在庫は、標準偏差が30個なら1.65 × 30 × √28 ≒ 262個にとどまる。在庫を減らしたいときに安全在庫だけを削る議論をしても、効く場所を外している。効くのは発注間隔とリードタイムのほうである。
公式を入れても在庫が減らない3つの理由
安全在庫の公式を表計算に組み込み、全品目の数字を出したところで在庫が減らなかった——この経験を持つ工場は多い。原因は公式ではなく、公式に入れる3つの入力が揃っていないことにある。
理由1:理論在庫が現物と一致していない。 システム上の在庫数と現物が合わない状態で公式を回すと、出てくる発注点も現物に対しては意味を持たない。しかも現場は、システムの数字が信用できないことを知っているため、独自に「隠し在庫」を持つ。公式が出した適正在庫に、現場の不信が生んだバッファが上乗せされる。これが本記事でいう第0層の問題である。
理由2:使用量の標準偏差を実績から取れていない。 標準偏差を出すには、品目ごとに日次(または週次)の出庫実績が時系列で必要になる。月次の総使用量しか取れていなければ、σは計算できない。計算できないので、多くの現場は「平均の何割増し」といった経験則で置く。経験則で置いた瞬間、公式は式の形をしているだけの経験則になる。
理由3:リードタイムを平均値ひとつで持っている。 これがタイの日系工場で最も深刻な入力エラーである。マスタに「調達リードタイム 14日」と1つの数字が入っている。しかし実際の入荷実績を並べると、12日のこともあれば22日のこともある。公式が守ってくれるのは平均からのばらつきであって、平均そのものが実態とずれている場合は守ってくれない。2026年のタイでは、この裾(遅れる側)が伸びる事象が続いた。詳細は後段で扱う。
この3つを踏まえると、適正在庫の管理は「良い公式を選ぶ」問題ではなく、公式に入れる入力を、どの層まで整えるかを決める問題だと分かる。次章で、その層を5つに分けて整理する。
適正在庫を決める5層モデル
適正在庫を運用設計として捉えるために、5つの層に分解する。下の層が整っていないうちに上の層に手を付けても効果は出ないという順序性がある点が、このモデルの要点である。

| 層 | 内容 | 整っていないと何が起きるか | 見直しの主なオーナー |
|---|---|---|---|
| 第0層 | 現物一致(理論在庫=現物) | 上の層の計算がすべて無意味になる | 倉庫・製造管理 |
| 第1層 | 消費のばらつき(σ)を実績から取る | 安全在庫が経験則になる | 生産管理 |
| 第2層 | リードタイムを分布で持つ | 平均通りに来なかった月に必ず欠品する | 購買・調達 |
| 第3層 | 発注方式の割り当て(ABC×XYZ) | 全品目を同じ方式で回し、手間と在庫が両方増える | 生産管理・購買 |
| 第4層 | 維持(見直し周期とオーナー) | 半年で形骸化し、元の在庫水準に戻る | 工場長・管理部門 |
以下、順に見ていく。
第0層 現物一致——在庫差異の原因と対策
すべての土台がここにある。理論在庫と現物が一致していなければ、上の4層は全部意味を持たない。
在庫差異の原因は、経験的に次のいくつかに集約される。
| 差異の原因 | 典型的な現れ方 | 対策の方向 |
|---|---|---|
| 出庫の未計上・遅延計上 | 現物は出ているがシステム上は残っている | 出庫のタイミングで記録する運用に変える |
| 誤品・誤数のピッキング | 品番違いの在庫が両方ずれる | ロケーション管理とバーコード/RFIDでの照合 |
| 端数・切れ端の扱いが未定義 | リールの残数、コイルの端材が計上されない | 端数在庫の計上ルールを決める |
| 不良品・仕損の未処理 | 使えない在庫が理論在庫に残る | 不良判定と在庫振替の手順を接続する |
| ロケーション未管理 | 「あるはずだが見つからない」で再発注が起きる | 保管場所を品目単位で固定する |
| 棚卸のカウント誤り | 棚卸のたびに数字が動く | ダブルカウントと差異理由の記録 |
対策として最初にやるべきは、差異率を品目区分別に測ることである。全社の差異率を1つの数字で見ても打ち手につながらない。金額上位の品目(後述のA品目)で差異が出ているのか、C品目の端数で出ているのかで、対応はまったく違う。前者ならロケーションと照合の仕組みの問題であり、後者なら計上ルールの問題であることが多い。
どこまで差異を許容するかも、先に決めておく必要がある。一般的な実務感覚としては、金額上位品目で差異率1%未満、点数ベースで数%以内を当面の目標に置く工場が多い。ただしこれは業種と品目構成で大きく変わるため、外から持ち込んだ基準をそのまま使うより、自社の直近の実測値を出発点にして、四半期ごとに下げていく設定にするほうが機能する。
第0層を固めるための具体的な手段——循環棚卸の設計、バーコードとRFIDのどちらを選ぶか、その費用感——についてはRFID棚卸の費用と導入判断で個別に整理している。本記事では「上の層に進む前に、差異をどこまで潰す必要があるか」という判断軸に絞る。
判断軸はシンプルである。第1層以降で使う品目、つまり金額上位で継続的に消費する品目について、差異が安全在庫より小さくなっているか。安全在庫を227個と設定した品目で、棚卸のたびに300個ずれるなら、その安全在庫は機能していない。差異が安全在庫を食い潰しているからである。逆に言えば、全品目の差異をゼロにしてから次へ進む必要はない。優先順位をつけて進める。
第1層 消費のばらつき(σ)を実績から取る
第0層が固まると、出庫実績が信頼できるデータになる。ここで初めて標準偏差が計算できる。
必要なのは、品目 × 日次(最低でも週次)の出庫数量が、少なくとも直近6か月から1年分あることである。以下、考え方を示すための置きの数値として、ある品目の例を追う。
- 直近12か月の日次出庫データがある
- 平均出庫量:1日あたり100個
- 標準偏差:30個(変動係数 = 30 ÷ 100 = 0.3)
- 発注リードタイム:14日
- 発注間隔:7日
- サービス率95%(安全係数1.65)
このとき、
- 安全在庫 = 1.65 × 30 × √(14+7) = 1.65 × 30 × 4.58 ≒ 227個
- 適正在庫 = 100 ×(7+14)+227 = 2,327個
- 発注点 = 100 × 14 + 227 = 1,627個
これらはすべて置きの数値であり、自社の実測値に置き換えて使うためのひな型である。
実務でつまずくのは、σの取り方そのものである。3点だけ挙げる。
その1:出庫がゼロの日を除外してはいけない。 使わない日があること自体がばらつきである。ゼロの日を除いて平均と標準偏差を出すと、平均は上がり、ばらつきは小さく見える。結果として安全在庫が過小になる。
その2:季節性と一時的な特需を分けて扱う。 年に一度の大口受注が混ざったまま標準偏差を出すと、σが跳ね上がり、安全在庫が年間を通じて過大になる。特需が予測可能な性質のものなら、σではなく計画に織り込むほうが正しい。σは「予測できないばらつき」を吸収するための道具である。
その3:期間を固定して更新する。 「直近12か月」で計算すると決めたら、毎回同じ定義で更新する。計算の都度に期間を変えると、増減の理由が分からなくなる。
なお、σが極端に大きい品目——変動係数が1を超えるような品目——は、そもそも安全在庫で守る対象ではない可能性が高い。この判定は第3層のXYZ分析につながる。
第2層 リードタイムを分布で持つ
ここが本記事で最も強調したい層である。 多くの工場が、リードタイムをマスタ上の1つの数字として持っている。しかし現実のリードタイムは分布を持つ。
タイの日系工場が日本から部材を調達する場合、リードタイムは複数の工程の合計になる。
| 工程 | ばらつきの主な要因 |
|---|---|
| 発注から出荷までの供給元のリードタイム | 供給元の生産計画、日本側の在庫状況 |
| 日本国内の内陸輸送・コンテナ搬入 | 港の混雑、繁忙期 |
| 海上輸送(または空輸) | 欠便、寄港スケジュールの変更、天候 |
| タイ側の荷揚げ・通関 | 書類不備、検査対象になるかどうか、祝日 |
| 通関から工場までの内陸輸送 | 交通事情、繁忙期のトラック手配 |
このうち、供給元の事情でしか動かないのは1つ目だけである。 残りの4つはいずれも、値上げ交渉や納期督促の相手が特定しにくい領域にあり、通常時はほぼ一定でありながら、特定の条件下で数日から数週間伸びる性質を持つ。つまり分布は左右対称ではなく、遅れる側に裾が長い。
平均だけを持つ危険を、先ほどの置きの数値で確認する。
- マスタ上のリードタイム:14日
- 実際の入荷実績:中央値14日だが、直近の実績で18日を超えた月が複数あった
- リードタイムが18日になった場合、追加で必要になる在庫 = 100個 ×(18−14)= 400個
- 一方、この品目の安全在庫は 227個
安全在庫227個では、4日の遅れを吸収できない。 安全在庫は「使用量のばらつき」を吸収するために計算されており、「リードタイムそのもののずれ」は吸収対象に入っていないからである。ここに気づかないまま安全在庫の公式を回すと、計算上は適正でありながら、実態としては年に数回欠品する在庫水準ができあがる。
対策は難しくない。入荷実績から、品目群ごとにリードタイムの分布を作ることである。
- 発注日と入荷日を、直近1〜2年分、品目群(供給元・輸送モード別)で並べる
- 中央値ではなく、95パーセンタイル(20回に19回はこの日数以内に入る値)を出す
- マスタのリードタイムを中央値、安全在庫の計算に使うリードタイムを95パーセンタイル、といった形で使い分ける
- 分布が二山になっている品目群(通常便と欠便時で別々に固まる)は、原因を特定して別管理にする
この作業に必要なデータは、多くの工場ですでに購買システムの中にある。発注データと入荷データを突き合わせるだけで、95パーセンタイルは計算できる。新しい仕組みを買う前に、まずここを見るのが順序として正しい。発注業務そのものの流れをシステム化する話は受発注・購買管理システムの選び方で扱っているため、本記事では「いくつ発注するか」の決め方に絞る。
第3層 発注方式の割り当て(ABC×XYZ)
ここまでの3層が整うと、初めて「品目ごとにどの発注方式を使うか」を決められる。全品目を同じ方式で回すことが、手間と在庫の両方を増やす最大の原因である。
主な発注方式は3つある。
| 方式 | 仕組み | 向く品目 | 向かない品目 |
|---|---|---|---|
| 定量発注(発注点方式) | 在庫が発注点を下回ったら、決まった量を発注する | 消費が安定していて、在庫が常時把握できる品目 | 消費が不規則で発注点を頻繁に割る品目 |
| 定期発注 | 決まった周期で、そのときの在庫と需要見込みから発注量を計算する | 金額が大きく、需要見込みを都度反映したい品目 | 点数が多く、都度計算の手間に見合わない品目 |
| かんばん(二棚法を含む) | 空になった容器・棚を合図に、決まった量を補充する | 単価が低く、消費が安定し、現物で管理できる品目 | 単価が高い品目、消費が不規則な品目 |
割り当ての軸は2つである。金額の大きさ(ABC分析)と、消費の変動性(XYZ分析)。この2軸の掛け合わせを次章で詳しく扱う。ここでは、割り当てを決めること自体が第3層の仕事であるという点を押さえておく。
割り当てが決まっていない工場では、たいてい次のいずれかが起きている。金額の小さいネジやワッシャーまで定期発注の計算対象になり、生産管理担当が毎週数百行の計算に追われている。あるいは逆に、金額の大きい主要部品まで「なくなったら発注」で回しており、発注のたびに担当者の勘で数量が決まっている。どちらも、割り当てを決めていないことの帰結である。
第4層 維持——見直し周期とオーナーシップ
最後の層が、最も抜けやすい。パラメータは決めた瞬間から古くなる。 需要は変わり、供給元は変わり、輸送事情も変わる。にもかかわらず、安全在庫の計算を一度実施して、そのまま2年放置しているケースは珍しくない。
決めるべきは、次の4点である。
| 対象 | 見直し周期の目安 | オーナー | 見直しのきっかけ |
|---|---|---|---|
| 標準偏差(σ)・平均出庫量 | 四半期ごと | 生産管理 | 定例。加えて新製品の量産開始時 |
| リードタイム分布 | 半期ごと | 購買・調達 | 定例。加えて供給元・輸送モードの変更時 |
| ABC×XYZの区分 | 半期ごと | 生産管理 | 定例。加えて製品構成の大きな変更時 |
| サービス率(安全係数) | 年1回 | 工場長・営業との合意 | 定例。加えて欠品による重大クレーム発生時 |
周期とオーナーを氏名レベルで決めておかないと、この作業は必ず後回しになる。 適正在庫の見直しは、やらなくても今日の生産は止まらない種類の仕事だからである。止まらないから後回しになり、半年後に「決めた在庫水準が誰にも守られていない」状態になる。
実務的に効くのは、見直しを既存の定例会議の議題に埋め込むことである。新しい会議体を作ると出席率が落ちる。生産会議や購買会議の中に、四半期に一度「パラメータ見直し」の枠を作るほうが続く。そのとき見る資料は、A4で1枚——区分別の在庫金額、差異率、欠品件数、リードタイムの95パーセンタイルの推移——で十分である。
タイの工場で適正在庫が崩れる固有の要因
5層モデルは普遍的な構造だが、タイの工場には固有の負荷がかかる。ここでは2026年の実際のデータから、3つの要因を確認する。
調達リードタイムの裾——国境・通関・船便
第2層で述べた「裾」が実際に伸びた例として、2026年1月のタイ・カンボジア国境の事案がある。Logistics Viewpoints(2026年1月7日)が報じた内容は次の通りである。
- 物流コストは30%超上昇した
- 輸送日数は2〜4日延伸した
- ポイペト–アランヤプラテートの通関ポイントは、両国間の陸上貨物の70%超を扱っている
- タイ財務省の初期評価では、損失は100億バーツ超とされた
- タイに就労していたカンボジア人労働者は約80万人、うち約78万人が数週間で帰国したと報じられた
製造業への波及として重要なのは、タイが世界のHDD生産能力の約40%を占めるという構造である。Western Digitalは自社能力の60%、東芝は50%がタイに集中している。特定の地域に生産が集中している構造では、その地域で起きた事象が世界のサプライチェーンに直接届く。
この事案を、在庫管理の観点で読み直す。
輸送日数が2〜4日伸びるという事象そのものは、破局的ではない。 問題は、平均リードタイムだけを持っている工場は、この2〜4日を吸収する在庫を持っていないことである。前章の置きの数値で見た通り、4日の遅れは400個分の在庫を要求する一方、使用量のばらつきから計算した安全在庫は227個しかない。この227個をすべて遅れの吸収に充てたとしても173個足りない。本来この安全在庫は使用量のばらつきを吸収するためのものなので、実際にはさらに厳しい。
さらに厄介なのは、労働力の急激な移動が、リードタイムだけでなく消費側にも影響する点である。約78万人が数週間で帰国したという規模の変化は、周辺の物流・倉庫・製造の稼働に影響する。つまり第1層のσと第2層のLTが同時にずれる。両方が同時にずれる局面こそ、安全在庫が最も試される。
対策は、事案そのものを予測することではない。リードタイムを分布として持ち、95パーセンタイルで安全在庫を計算しておくことである。分布を持っていれば、過去に裾が伸びた実績は自動的に計算に織り込まれる。予測ではなく、履歴の反映で対応する。
もう一つ、輸送モードごとに分布を分けて持つことも効く。陸送、海上、空輸で裾の伸び方はまったく違う。まとめて1つの分布にすると、どちらの実態も表さない中途半端な数字になる。
受注残は増えるが人は増えない——PMI 54.2の読み方
S&P Globalのタイ製造業PMI(2026年8月3日公表、7月分)は、在庫管理にとって重要な示唆を含んでいる。
| 指標 | 2026年7月の状況 |
|---|---|
| PMI総合 | 54.2(6月は53.6)。2025年12月以来の高水準 |
| 新規受注 | 4か月ぶりの伸び |
| 生産 | 年初来最高 |
| 受注残(backlog) | 積み上がり続けている |
| 雇用 | 2026年を通じてほぼ横ばい |
| 投入財の平均リードタイム | 再び長期化。ただし伸びは昨年12月以来の緩やかさ |
| 企業景況感 | 年初より低い(世界経済の不確実性を反映) |
PMIは50を上回れば拡大を示す指標であり、54.2は明確な拡大局面である。ただし、この数字を「景気が良い」とだけ読むと、在庫管理上の含意を取り逃す。
読むべきは3点の組み合わせである。
第一に、受注残が積み上がっているのに雇用が横ばいだという点。 これは、生産が伸びている分の負荷を既存の人員で吸収していることを意味する。在庫管理の観点では、棚卸や在庫調整に人手を追加できないということである。 第0層の現物一致を人海戦術で達成しようとする計画は、この局面では成立しない。循環棚卸の頻度を上げるにも、ロケーション管理を導入するにも、人を増やす前提の計画は通らない。人を増やさずに差異を減らす方法を選ぶ必要がある。
第二に、投入財のリードタイムが再び長期化している点。 伸びは緩やかとされているが、方向は伸びる側である。第2層のリードタイム分布は、直近の実績で更新しないと現実からずれる。1年前に計算した95パーセンタイルをそのまま使っていると、過小評価になる。
第三に、企業景況感が年初より低い点。 生産は伸びているが、先行きへの確信は弱い。この組み合わせは在庫政策として難しい。需要が伸びているから在庫を積みたいが、先行きが読めないので積みたくない。この状況で正しいのは「一律に積む」でも「一律に絞る」でもなく、品目ごとに方針を分けることである。次章のABC×XYZは、まさにこの判断のための道具である。
なお、このPMIの構成比は、新規受注30%、生産25%、雇用20%、supplier delivery times(供給業者の納期)15%、stocks of purchases(購買在庫)10%とされている。供給業者の納期と購買在庫を合わせて25%の重みを持つ指標であるという点は、読み方として押さえておきたい。指数の動きは景況感だけでなく、リードタイムと在庫の動きを直接含んでいる。
本社の在庫圧縮圧力——日本の在庫率指数 104.7
タイ拠点の在庫政策は、日本本社の状況からも影響を受ける。経済産業省の鉱工業指数(2026年6月速報)は次の通りである。
| 指標 | 2026年6月速報 |
|---|---|
| 生産指数(季節調整済) | 103.9、前月比+1.3%(3か月連続上昇) |
| 出荷 | 前月比▲0.4% |
| 在庫率指数 | 104.7、前月比+2.3%(2か月連続の上昇) |
| 基調判断 | 「一進一退」に据え置き |
生産は伸びているのに出荷は減っている。 在庫率指数は在庫を出荷で割った比率であり、出荷が落ちれば在庫量が同じでも上がる。それでも、生産が3か月連続で伸びる一方で出荷が減り、比率が2か月連続で上昇しているという組み合わせは、在庫が積み上がる方向に力がかかっている局面を示していると読める。
在タイ拠点の実務にとって、この数字が意味することは明快である。本社の連結ベースで在庫が膨らむ局面では、遅かれ早かれ各拠点に在庫圧縮の指示が来る。 そしてその指示は、多くの場合「在庫金額を一律X%削減」という形で降りてくる。
一律削減の指示に対して、準備なく応じるとどうなるか。現場は削りやすいところから削る。削りやすいのは、金額が大きく、日常的に動いていて、削っても当面は気づかれない品目——つまり主要部品の安全在庫である。結果として、数か月後に欠品が出る。緊急空輸が発生する。削減額を上回るコストがかかる。この経路は、在庫政策を持たない工場でほぼ確実に再現される。
対策は、指示が来る前に、品目ごとの方針を持っておくことである。「どの品目は削れる、どの品目は削れない、削るならこの前提条件が要る」を先に整理しておけば、一律X%の指示に対して「この構成で同等の効果を出す」という代案を提示できる。5層モデルを整えておく実務的な価値の一つは、ここにある。
外部環境として、通商面の不確実性も無視できない。Thomson Reutersが2026年2月に公表した「2026 Global Trade Report」(北米・EU・英国・中南米・アジア太平洋の貿易実務者225名を対象とした調査)では、72%が「米国の関税変動」を最も影響の大きい規制変化に挙げている。KPMG Thailandも2026年1月のレポートで、関税・通商の混乱をサプライチェーンの主要トレンドの一つとして挙げている。関税や通商条件が変われば、調達先も輸送ルートも変わり、リードタイムの分布は作り直しになる。 第2層を「一度作れば終わり」ではなく「半期ごとに更新する」対象として設計する理由がここにある。
品目をどう仕分けるか——ABC分析×XYZ分析の実務
第3層の中身に入る。適正在庫の議論が空転する最大の理由は、全品目を一つの方針で語ろうとすることである。品目を仕分けてから議論する。
2つの軸を定義する
ABC分析は、年間出庫金額(=単価 × 年間使用量)で品目を並べ、累積構成比で区分する。一般的な区分は次の通りである。
| 区分 | 累積金額構成比の目安 | 品目数の目安 | 管理の考え方 |
|---|---|---|---|
| A | 上位70〜80% | 全品目の10〜20% | 厳密に管理する。手間をかける価値がある |
| B | 次の15〜20% | 全品目の20〜30% | 標準的に管理する |
| C | 残りの5〜10% | 全品目の50〜70% | 手間をかけない。切らさないことを優先 |
この区切りは一般的な目安であり、置きの数値である。 品目構成によって実際の分布は変わるため、自社の年間出庫金額を降順に並べ、累積構成比のカーブが寝はじめる位置を見て切るほうが実態に合う。
XYZ分析は、消費の変動性で区分する。第1層で計算した変動係数(CV = 標準偏差 ÷ 平均)を使う。
| 区分 | 変動係数の目安 | 性質 |
|---|---|---|
| X | 0.5未満 | 消費が安定。予測しやすい |
| Y | 0.5〜1.0 | 中程度の変動。季節性やロットの影響がある |
| Z | 1.0超 | 不規則。まとまった消費が散発的に発生する |
この閾値も置きの数値である。 自社の品目分布を見て調整する。すべての品目がXに入る、あるいはすべてZに入るような閾値では区分の意味がない。実務的には、品目をCVの順に並べて、分布が自然に分かれる位置を見て決めるのが早い。
9マスへの発注方式の割り当て
ABCとXYZを掛け合わせると9つの区分ができる。それぞれに発注方式を割り当てる。

| 区分 | 性質 | 推奨する発注方式 | 安全在庫の考え方 | 見直し頻度 |
|---|---|---|---|---|
| AX | 金額大・安定 | 定量発注(発注点方式) | 精緻に計算。サービス率は高めに設定 | 月次 |
| AY | 金額大・中変動 | 定期発注(短周期) | 計算+需要見込みで都度調整 | 月次 |
| AZ | 金額大・不規則 | 個別手配・受注引当 | 在庫を持たない設計を優先 | 都度 |
| BX | 金額中・安定 | 定量発注/かんばん化の候補 | 標準的に計算 | 四半期 |
| BY | 金額中・中変動 | 定期発注 | 標準的に計算 | 四半期 |
| BZ | 金額中・不規則 | 都度判断。代替品・共通化を検討 | 過大にならないよう上限を設ける | 都度 |
| CX | 金額小・安定 | かんばん/二棚法 | 現物で管理。計算しない | 半期 |
| CY | 金額小・中変動 | かんばん(容器サイズを大きめに) | 現物で管理。計算しない | 半期 |
| CZ | 金額小・不規則 | 発注点を粗く設定。廃番・集約を検討 | 切らさないことだけを担保 | 年次 |
この表の実務的な要点は3つある。
要点1:Cの品目に計算をかけない。 品目数の過半を占めるCに標準偏差の計算と発注点の維持を求めると、生産管理の工数が破綻する。Cはかんばんや二棚法で現物管理に落とし、計算の対象から外す。 単価が低いため、多少多く持っても金額影響は小さい。Cで削減できる金額より、Cの管理に費やす人件費のほうが大きくなる局面は普通に起きる。
要点2:AZは在庫で持たない。 金額が大きく消費が不規則な品目を在庫で持つと、資金が寝る一方で欠品も防げない。受注に紐づけて手配する、あるいは供給元と枠取り契約を結ぶほうが合理的である。AZに分類される品目が多い工場は、そもそも製品構成か受注形態の見直しが先である可能性が高い。
要点3:AXにこそ手間をかける。 品目数は少ないが金額の大半を占める。この区分の安全在庫を1割精緻化するだけで、金額としての効果はC全体を触るより大きい。 リードタイム分布の作成も、まずAXとAYの品目群から始めるのが効率的である。
生産計画側との接続について補足する。9マスの割り当ては資材・部品在庫の話だが、AY・AZの品目は生産計画の変動の影響を強く受ける。計画がぶれれば消費もぶれ、CVは上がる。在庫を減らす取り組みが行き詰まったときは、原因が在庫側ではなく計画側にあることを疑う価値がある。 計画の立案そのものについては生産スケジューラー比較で扱っている。
先入先出と有効期限のある品目
9マスの割り当てとは別の軸として、先入先出(FIFO)の管理が必要な品目がある。接着剤、塗料、電子部品のはんだ付け性、ゴム・樹脂部品、化学品などである。
これらの品目では、適正在庫の議論に「保管期間」という制約が加わる。
| 論点 | 内容 | 決めること |
|---|---|---|
| 有効期限の管理単位 | ロット単位か、入荷単位か | 入荷時にロット番号と期限を記録する運用 |
| 引き当ての優先順位 | 期限の近いものから出す仕組み | システムでの引当ルール、または物理的な棚の設計 |
| 期限切れの扱い | 廃棄か、再検査か | 判定基準と、在庫からの除外手順 |
| 安全在庫の上限 | 期限内に消費しきれる量が上限になる | 計算値と保管期間制約の小さいほうを採用 |
最後の行が重要である。 通常の適正在庫の計算は「多く持てば欠品しない」という前提に立つが、有効期限のある品目では多く持つこと自体が損失を生む。計算式が出した安全在庫が、期限内に消費できる量を超えているなら、超過分は廃棄予定在庫である。
実務では、保管期間の制約を先にかけてから、残りの範囲で安全在庫を計算する順序にするとよい。安全在庫が確保できないなら、それは在庫では解決できない問題であり、発注頻度を上げるか、供給元との取り決めを変えるかの議論になる。
物理的な棚の設計でFIFOを担保する方法も有効である。流動棚(一方から入れて反対側から取り出す構造)にすれば、運用ルールに頼らずFIFOが成立する。ルールで守らせるより、守らざるを得ない構造にするほうが確実である。

いくら効くのか——保有コストの試算と、減らしすぎの損益分岐
適正在庫の取り組みを社内で通すには、金額の見通しが要る。ここではモデルケースとしての試算を示す。以下の数値はすべて「置き」であり、実績を示すものではない。前提を明示するので、自社の値に置き換えて計算してほしい。
前提:在庫保有コスト率を年18%と置く
在庫を持つコストは、倉庫の賃料だけではない。実務では次のように分解して考える。ここでは合計を年18%と置く。
| 費目 | 置いた率 | 内容 |
|---|---|---|
| 資本コスト | 6% | 在庫に固定された資金の機会費用 |
| 保管・荷役 | 5% | 倉庫スペース、棚、フォークリフト、入出庫の人件費 |
| 陳腐化・劣化 | 4% | 設計変更、廃番、期限切れ、品質劣化による損失 |
| 保険・棚卸差損 | 3% | 保険料、紛失・破損・差異による損失 |
| 合計 | 18% |
この18%という数字は、本記事が置いた仮定である。 資本コストは自社の調達金利や期待収益率で変わり、保管費は自社倉庫か外部倉庫かで変わり、陳腐化率は製品ライフサイクルの長さで変わる。「うちは何%か」を出す作業自体が、在庫の議論を具体化する。
この率そのものを裏付ける外部データがあるわけではない。ただし、在庫を持つことに伴うコストが無視できない規模であるという点については、マクロの数字が傍証になる。NESDCの「Thailand’s Logistics Report 2024」(2025年9月公表)によれば、タイの国内物流費の内訳は次の通りである。
| 費目 | 2024年推計 | 2023年 | 前年比 | 3費目合計に占める割合 |
|---|---|---|---|---|
| 在庫保管費(inventory holding cost) | 1,122.1十億バーツ(約1.12兆バーツ) | 1,142.0十億バーツ | ▲1.7% | 約44.7% |
| 輸送費(transportation cost) | 1,200.6十億バーツ(約1.20兆バーツ) | 1,210.8十億バーツ | ▲0.8% | 約47.8% |
| 物流管理費(administration cost) | 186.7十億バーツ | 189.2十億バーツ | ▲1.3% | 約7.4% |
※原典の表記は billion baht。本記事では「十億バーツ」と訳し、誤解を避けるため兆バーツ換算を併記している。
在庫を持つコストは、運ぶコストとほぼ同じ規模にある。 これが本記事の入口に置いた事実である。輸送費の見積は毎年比較され、値上げには稟議が回る。一方、在庫そのものは貸借対照表に棚卸資産として計上され、保有に伴うコストは損益計算書の複数の費目に分散する。支出として一箇所にまとまって現れないため、意識されにくい。 同じ規模の支出でありながら、片方だけが管理対象になっているのが多くの工場の実態である。
参考までに、タイの物流費対GDP比は2023年の14.2%から低下したとNESDCは推計している。政府目標は、第13次国家経済社会開発計画の最終年である2026年に11%である(2021年は13.8%)。国全体として物流費の圧縮が政策目標になっている局面にあることは、押さえておく価値がある。
モデルケース:在庫金額5,000万THBの工場
以下、置きの数値による試算である。
前提
- 在庫金額:5,000万THB
- 在庫保有コスト率:年18%(上記の内訳)
現状の年間保有コスト
- 5,000万THB × 18% = 900万THB/年
適正在庫化により在庫金額を15%圧縮した場合
- 圧縮額:5,000万THB × 15% = 750万THB
- 削減される年間保有コスト:750万THB × 18% = 135万THB/年
15%という圧縮率も置きの数値である。5層モデルのうち第0層から第3層までを整えた場合に、安全在庫の過大分の是正と、発注方式の適正化によるサイクル在庫の圧縮で狙える範囲として置いている。実際の圧縮率は、現状のパラメータがどれだけ経験則で置かれているかに依存する。長年見直していない工場ほど余地は大きく、すでに精緻に管理している工場では小さい。
減らしすぎの損益分岐——緊急空輸1回いくらか
ここからが本題である。在庫を減らせば保有コストは減るが、欠品のリスクは上がる。 欠品したときのコストを同じ土俵に載せて比較しなければ、判断は片手落ちになる。
前提
- 緊急空輸1回あたりの追加コスト:20万THB(通常の海上輸送との差額、書類・通関の追加手数料、社内の対応工数を含む置きの数値)
損益分岐の計算
- 年間削減額 135万THB ÷ 1回あたり 20万THB = 6.75回
- つまり、年6回を超えて緊急空輸が発生すると、圧縮による削減効果は消える
- 緊急空輸が年12回まで増えたケースでは、20万THB × 12回 = 240万THB。削減額135万THBを大きく上回り、差し引き105万THBの持ち出しになる
この計算には、緊急空輸で済まない場合のコストが入っていない。 ラインが止まれば操業損失が出る。客先への納期遅延が発生すれば、信用の問題になる。特別対応の人件費もかかる。これらを加えれば、損益分岐点となる回数はさらに下がる。
| ケース | 年間の緊急対応 | 追加コスト | 保有コスト削減 | 差引 |
|---|---|---|---|---|
| 圧縮しない | 0回 | 0 | 0 | ±0 |
| 圧縮+緊急対応が年3回 | 3回 | 60万THB | 135万THB | +75万THB |
| 圧縮+緊急対応が年6回 | 6回 | 120万THB | 135万THB | +15万THB |
| 圧縮+緊急対応が年12回 | 12回 | 240万THB | 135万THB | ▲105万THB |
この表が示す結論は、「減らす」でも「増やす」でもない。 一律に減らせば緊急対応が増え、一律に増やせば保有コストが増える。必要なのは、品目ごとに在庫の置き場所を変えることである。
具体的には、前章のABC×XYZの区分ごとに方針を分ける。
- AXの品目:リードタイム分布を精緻化して、安全在庫を「正しい水準」に置く。過大なら減らし、過小なら増やす。減らすことが目的ではない
- AZの品目:在庫として持たず、受注引当か枠取りに切り替える。ここが最も金額インパクトが大きい
- Cの品目:かんばん化して管理工数を落とす。金額は増えても構わない。切らさないことを優先する
- 緊急空輸が実際に発生した品目:発生履歴を記録し、その品目の第2層(リードタイム分布)を見直す
最後の1点が、この試算全体を運用に接続する。 緊急空輸が起きたということは、その品目のパラメータが実態と合っていなかったということである。緊急対応を、費用の発生としてだけでなく、パラメータ見直しのトリガーとして扱う。 第4層の維持は、この形で定例化できる。
どこまでシステムが要るか
ここまで、5層モデルとその運用を述べてきた。次の問いは「どこまでをシステムでやる必要があるか」である。結論から言えば、層によって答えが違う。
エクセルで足りる範囲と足りない範囲
| 作業 | エクセルで足りるか | 理由 |
|---|---|---|
| ABC分析(年間出庫金額での区分) | 足りる | 年に1〜2回の作業。データを抜いて並べ替えるだけ |
| XYZ分析(変動係数の計算) | 足りる(データが抜ければ) | 同上。ただし日次出庫データの抽出が前提 |
| 安全在庫・発注点の計算 | 足りる | 式は単純。品目数が数千でも計算自体は可能 |
| リードタイム分布の作成 | 条件付きで足りる | 発注日と入荷日のデータが抽出できれば可能 |
| 理論在庫と現物の一致(第0層) | 足りない | リアルタイムの入出庫記録が必要。エクセルでは追随できない |
| 発注点の常時監視 | 足りない | 在庫が発注点を割った瞬間を検知する必要がある |
| 在庫の見える化(誰でも今の在庫が見える状態) | 足りない | 個人のファイルでは共有・同時参照が成立しない |
この表の分かれ目は明確である。 「定期的に計算する作業」はエクセルで足りる。「常時、現物と同期していなければならない作業」はエクセルでは足りない。
第0層の現物一致と、第3層の発注点管理・かんばん運用は後者に属する。リアルタイムの在庫管理が必要になるのは、この2か所である。 逆に言えば、第1層のσ計算と第2層のリードタイム分布は、システムを導入する前に、既存データの抽出だけで着手できる。
この順序を誤ると投資が無駄になる。 システムを入れても、入力される在庫データが現物と合っていなければ出力も合わない。逆に、第0層が固まっていれば、その上に載る計算はエクセルでも十分に価値を出す。
前章のPMIの読み方で触れた通り、2026年のタイでは受注残が積み上がる一方で雇用は横ばいである。人手を増やして第0層を維持する計画は成立しにくい。 ここが、システム化の実務的な動機になる。手作業での記録・照合を減らし、入出庫の記録を作業の流れの中で自動的に取る構成にすることで、人を増やさずに差異を抑える。
導入の順番——第0層 → 第1層 → 第3層
システムを検討する場合の順序を整理する。
ステップ1:第0層(現物一致)を担保する仕組み
- ロケーション管理(どの品目がどの棚にあるか)
- 入出庫の記録(作業と同時に記録が残る構成)
- 照合の手段(バーコード、二次元コード、RFID)
- 循環棚卸の運用(全数棚卸を待たずに差異を検知する)
この段階で、リアルタイム在庫管理の基盤ができる。 在庫の見える化も、ここが前提になる。誰でも今の在庫が見える状態は、第0層が固まって初めて意味を持つ。合っていない数字を全員に見せても、不信が広がるだけである。
ステップ2:第1層・第2層のデータを取る
- 出庫実績を品目 × 日次で蓄積する
- 発注日と入荷日を対にして蓄積する
- 一定期間(最低6か月、できれば1年)貯める
この段階では、新しいシステムはほぼ不要である。 ステップ1の仕組みが動いていれば、データは自動的に貯まる。必要なのは、抽出できる形で保存されていることと、取り始める判断をすることである。
ステップ3:第3層(発注方式の割り当て)を仕組みに載せる
- 品目ごとの発注方式区分をマスタに持つ
- 発注点を割った品目を検知して通知する
- 定期発注の対象品目について、周期ごとに発注推奨量を出す
- かんばん品目については、システムの計算対象から外す
ここで初めて、発注点管理システムとしての機能が必要になる。 ステップ1と2を飛ばしてステップ3から入ると、精度の低いパラメータで自動発注が回る状態になる。これは手作業より危険である。人が発注していれば「この数字はおかしい」と気づくが、自動発注は気づかずに実行する。
システム製品そのものの比較——どのタイプの製品があり、どういう選定軸で見るか——については工場の在庫管理システム比較2026で整理している。本記事の立場は、製品を選ぶ前に決めるパラメータの話である。 逆の順序、つまり製品を先に決めてからパラメータを考えると、製品が持っている計算方式に自社の運用を合わせることになり、なぜその在庫水準なのかを誰も説明できない状態になりやすい。
90日で始める進め方
5層モデルを、実際に動かす順序に落とす。前提は「在庫管理はしているが、安全在庫や発注点が経験則で置かれている工場」である。
| 期間 | 主な作業 | 成果物 | 関与部門 | つまずきどころ |
|---|---|---|---|---|
| Day 0-30 | 現状把握と品目の仕分け | 在庫金額の内訳、差異率の実測、ABC×XYZの区分表 | 生産管理、倉庫、購買 | 全品目を一度に扱おうとして終わらない |
| Day 31-60 | 第0層の是正と第1・2層のデータ取得 | 差異の原因分類と対策、σとリードタイム分布(A品目群) | 倉庫、購買、生産管理 | データが抽出できず、手入力に時間を取られる |
| Day 61-90 | パラメータ設定と維持の設計 | 品目区分別の発注方式、安全在庫の設定値、見直し周期とオーナー | 生産管理、購買、工場長 | 設定して終わりにして、維持を決めない |
Day 0-30:測る。まだ変えない
最初の30日は、在庫水準を変える作業を一切しない。現状を測ることに徹する。
- 在庫金額を品目単位で出す:単価 × 現在庫数。ここがすべての出発点になる
- ABC分析を実施する:年間出庫金額で並べ、累積構成比でA/B/Cを切る
- XYZ分析を実施する:日次出庫データから変動係数を計算し、X/Y/Zを切る。データが取れない品目はその事実を記録する
- 差異率を測る:直近の棚卸結果から、区分別の差異率を出す
- 欠品と緊急対応の履歴を集める:直近1年で、どの品目で何回、いくらの緊急対応が発生したか
成果物は数字であって、施策ではない。 この段階で在庫を減らす指示を出すと、後の分析が現状を反映しなくなる。
つまずきどころは、全品目を一度に扱おうとすることである。 品目数が数千から数万に及ぶ工場では、全品目のXYZ分析は初回から完遂できない。A品目(金額上位70〜80%を占める、品目数では10〜20%)に絞る。 ここだけなら数百品目に収まることが多く、30日で扱える規模になる。
Day 31-60:第0層を潰し、データを取る
- 差異の原因を分類する:Day 0-30で出した差異について、前述の6分類のどれに該当するかを個別に当てる
- 原因の上位2つに対策を打つ:全原因に手を付けない。件数または金額の上位2つに絞る
- A品目群のσを計算する:日次出庫データから標準偏差を出す
- A品目群のリードタイム分布を作る:発注日と入荷日を突き合わせ、中央値と95パーセンタイルを出す
- リードタイムが二山になっている品目群を特定する:原因(輸送モード、供給元、時期)を切り分ける
つまずきどころは、データの抽出である。 既存システムから日次出庫データや発注・入荷の対データが標準機能で出せない場合、この工程で止まる。着手前に「このデータが出せるか」を確認しておくと、30日を無駄にしない。出せない場合は、出せるようにする作業自体をこの期間の課題として扱う。
Day 61-90:決めて、維持を設計する
- 9マスの割り当てを決める:区分ごとの発注方式を表にする
- A品目の安全在庫・発注点を再計算する:第1層のσと第2層の95パーセンタイルを使う
- 現行の設定値と比較する:どの品目が過大で、どの品目が過小かを一覧にする
- 変更する品目を選ぶ:全品目を一度に変えない。金額影響の大きい品目から順に、月単位で移行する
- 見直し周期とオーナーを決める:第4層の表を、氏名入りで埋める
- 既存の定例会議に議題を埋め込む:新しい会議体を作らない
この90日で得られるのは、圧縮された在庫金額ではなく、区分表とパラメータと維持の仕組みである。 在庫金額は、パラメータを変更した後の数か月で徐々に動く。90日で在庫金額を目標値まで下げることを目的に置くと、第0層を飛ばして削減に走ることになり、数か月後に欠品として返ってくる。
Day 91以降は、四半期ごとの見直しサイクルに乗せる。1回目の見直しでは、前回の設定が実態とどれだけずれていたかを確認する。ずれの大きさが、次回以降の見直し頻度を決める材料になる。
よくある質問(FAQ)
適正在庫とは何ですか
適正在庫とは、安全在庫とサイクル在庫の合計である。サイクル在庫は次の入荷までの通常消費を賄う分、安全在庫は消費とリードタイムのばらつきに備える分を指す。
計算式としては、適正在庫 =(1日あたり平均出庫量 ×(発注間隔+リードタイム))+ 安全在庫 という形が使われる。
ただし本記事の立場は、適正在庫は公式が出す答えではなく、5つの層をそれぞれ誰がいつ見直すかという運用設計であるというものである。同じ公式を使っても、入力する理論在庫が現物と合っているか、標準偏差を実績から取っているか、リードタイムを分布で持っているかによって、出てくる数字はまったく違う。公式を導入したのに在庫が減らない場合、疑うべきは公式ではなく入力である。
安全在庫の計算式を教えてください
一般的に用いられるのは次の式である。
安全在庫 = 安全係数 × 使用量の標準偏差 × √(発注リードタイム+発注間隔)
安全係数は欠品をどこまで許すかで決まり、欠品許容率5%(サービス率95%)のときに1.65が用いられる。
実務上の注意点は3つある。第一に、標準偏差は実績から取る。 経験則で置くと、式の形をした経験則になる。第二に、リードタイムは平均ではなく分布で持つ。 平均値を入れると、平均より遅れた月に欠品する。95パーセンタイルを使う方法が実務的である。第三に、安全係数は品目ごとに変える。 全品目を同じサービス率にすると、金額の小さい品目に過剰な在庫を持つことになる。
適正在庫を決めても現場で守られないのはなぜですか
主な理由は3つある。
理由1:理論在庫が信用されていない。 システムの在庫数と現物が合わない経験を重ねると、現場は独自にバッファを持つようになる。決めた適正在庫の上に、見えない在庫が積み上がる。この状態では、パラメータをいくら精緻にしても効かない。 第0層の現物一致が先である。
理由2:欠品したときに責められ、過剰在庫では責められない構造がある。 欠品はラインを止め、客先に影響し、誰の責任かが明確になる。過剰在庫は誰も止めず、責任も分散する。この非対称性がある限り、担当者が多めに持つ判断は合理的である。 対策は、過剰在庫にも金額としての可視性を与えること——本記事の保有コスト率の試算は、そのための道具である。
理由3:見直しのオーナーと周期が決まっていない。 決めた時点では正しかったパラメータが、需要や供給の変化で実態からずれる。ずれたパラメータは守られなくなる。第4層で、誰がいつ見直すかを氏名レベルで決めておく必要がある。
在庫差異はどこまで許容していいですか
一律の基準を外から持ち込むより、自社の実測値を出発点にして、区分別に目標を設定するほうが機能する。
考え方の軸は、差異が安全在庫より小さいかどうかである。安全在庫が227個の品目で、棚卸のたびに300個の差異が出るなら、その安全在庫は機能していない。差異が安全在庫を食い潰しているからである。逆に差異が数個であれば、実務上は問題にならない。
一般的な実務感覚として、金額上位の品目では差異率1%未満、点数ベースでは数%以内を当面の目標に置く工場が多い。ただしこれは業種と品目構成で変わる。重要なのは、全品目を一つの基準で見ないことである。 C品目の端数の差異と、A品目の主要部品の差異は、原因も対策もインパクトも違う。
なお、差異ゼロを全品目で達成してから次に進む必要はない。第1層以降で扱う品目、つまりA品目群の差異を先に潰す。
在庫管理システムの費用はどれくらいかかりますか
対象範囲、拠点数、既存システムとの接続の有無で大きく変わるため、一律の金額は示せない。ただし、費用を考える前に決めておくべきことがあるというのが本記事の立場である。
具体的には、どの層をシステムで担保するかである。第0層の現物一致(ロケーション管理、入出庫記録、照合手段)を担保する仕組みと、第3層の発注点管理を仕組みに載せる部分では、必要な機能も規模も違う。この切り分けをせずに見積を取ると、範囲が曖昧なぶん金額のブレも大きくなる。
見積を評価するときの確認点も挙げておく。既存システムからのデータ抽出をどちらが担うか(「お客様側でご準備ください」と一行あるだけなら、その工数は自社に残る)、ハンディターミナルやラベルプリンタなどの現物側の機器が含まれているか、運用開始後のマスタ整備を誰がやるか。この3点は見積書に表れにくく、しかも確実に工数が発生する。
製品タイプごとの比較と選定軸については工場の在庫管理システム比較2026で整理している。
タイの工場でも同じ考え方が使えますか
5層モデルの構造そのものは同じである。 ただし、第2層のリードタイムについては、タイ固有の負荷を織り込む必要がある。
理由は本文で述べた通りである。日本からの調達は、供給元のリードタイム、日本国内輸送、海上輸送、タイ側の通関、内陸輸送という5工程の合計になる。このうち4工程が、遅れる側に裾を持つ。2026年1月のタイ・カンボジア国境の事案では、物流コストが30%超上昇し、輸送日数が2〜4日延伸した。平均リードタイムだけを持っている工場は、こうした事象で必ず欠品する。
もう1点、人員面の制約がある。S&P Globalのタイ製造業PMI(2026年7月分、8月3日公表)では、PMIは54.2まで上昇し受注残は積み上がる一方、雇用は2026年を通じてほぼ横ばいである。棚卸や在庫調整に人手を追加できない前提で計画を立てる必要がある。 人海戦術で第0層を維持する計画は、この局面では成立しにくい。
日本本社との関係も論点になる。経済産業省の鉱工業指数(2026年6月速報)では、生産が前月比+1.3%で3か月連続上昇する一方、出荷は▲0.4%、在庫率指数は104.7で前月比+2.3%と2か月連続の上昇となっている。本社の連結ベースで在庫が積み上がる局面では、拠点に一律の在庫圧縮指示が来やすい。 品目ごとの方針を先に持っておくことが、一律削減に対する現実的な備えになる。
まとめ
適正在庫の管理は、公式を導入する仕事ではない。5つの層をそれぞれ誰がいつ見直すかを決める運用設計の仕事である。
本記事の要点を整理する。
- タイの国家統計では、在庫保管費1,122.1十億バーツに対し輸送費1,200.6十億バーツ(NESDC、2024年推計)。3費目合計に占める在庫保管費の割合は約44.7%であり、「持つコスト」は「運ぶコスト」とほぼ同じ規模にある。それでも管理対象になっているのは片方だけであることが多い
- 適正在庫 = 安全在庫 + サイクル在庫。大部分はサイクル在庫であり、安全在庫だけを削る議論は効く場所を外している
- 公式を入れても在庫が減らない原因は、公式ではなく3つの入力にある。現物と一致した理論在庫、実績から取った消費のばらつき、分布として持ったリードタイム。この3つが揃っていない限り、どの公式を使っても結果は変わらない
- 5層モデルには順序性がある。第0層(現物一致)が崩れていれば、上の4層は全部意味を持たない。第0層 → 第1層・第2層 → 第3層 → 第4層の順に整える
- タイ固有の負荷は第2層に集中する。2026年1月の国境事案では物流コスト30%超上昇・輸送日数2〜4日延伸。平均値ひとつでリードタイムを持つ工場は、この種の事象で必ず欠品する。対策は予測ではなく、95パーセンタイルによる履歴の反映である
- 人手を増やす前提の計画は立たない。PMIは54.2(2026年7月)まで上昇し受注残は積み上がる一方、雇用はほぼ横ばい。棚卸や在庫調整に人を追加できない前提で仕組みを選ぶ必要がある
- 本社の在庫圧縮圧力に備える。日本の在庫率指数は104.7、前月比+2.3%で2か月連続上昇(2026年6月速報)。一律X%削減の指示が来る前に、品目ごとの方針を持っておく
- ABC×XYZの9マスで発注方式を割り当てる。Cに計算をかけない、AZは在庫で持たない、AXに手間をかける。この3点だけで管理工数と在庫金額の両方が動く
- 試算では、在庫保有コスト率を年18%と置いた場合、在庫5,000万THBの工場で年間保有コストは900万THB。15%圧縮で年135万THBの削減になるが、緊急空輸を年6回超えると効果は消える(1回20万THBの置きの前提)。これらはすべてモデルケースの数値であり、自社の値に置き換えて計算する必要がある
- 結論は「減らす」でも「増やす」でもなく、品目ごとに置き場所を変えることである
最後にもう一度。適正在庫は、公式が出す答えではない。誰がいつ見直すかを決めた瞬間に、初めて数字になる。
自社の適正在庫を見直すとき、最初の作業は在庫金額を品目単位で並べ、A品目群のリードタイム実績を発注データから引き出すところから始められます。ここまでは既存のデータだけで着手できる範囲であり、システムの検討はその後で構いません。TOMAS TECHはタイで、生産・エネルギー管理システムのPEGASUSをはじめとする現場システムの構築を通じて、工場のデータをどこから取り出し、どう日々の判断につなげるかという部分を扱ってきました。「うちの在庫データからσとリードタイム分布が出せるか」「第0層の現物一致をどこまで仕組みで担保すべきか」といった設計段階の論点だけでも構いませんし、まだ社内で課題を整理し始めた段階でも問題ありません。拠点の状況を伺ったうえで、進め方の選択肢を整理してお伝えします。ご相談はお問い合わせフォームからお気軽にどうぞ。