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2026.08.08

セキュア生成AI環境2026|3構成の費用と守れる範囲

セキュア生成AI環境2026|3構成の費用と守れる範囲

生成AI利用規程を配ったのに、現場は個人アカウントのまま使っています。禁止しても止まらないのは、正規の入口が個人アカウントより遅いからです。セキュアな生成AI環境をどの構成で作るかは、規程の厳しさではなく入口の速さで決まります。本記事はタイ・チョンブリの日系製造業拠点(従業員620名、うちホワイトカラー120名、生成AIを日常的に使う想定60席)をモデルに、3構成の5年総額を並べて比較します。為替は1 USD = 35バーツ換算、金額はすべてバーツです。

規程を配っても止まらない理由 — 数字で見るシャドーAI

セキュア生成AI環境2026|3構成の費用と守れる範囲 - figure 1

「業務データを生成AIに入力してはならない」という一文を含む規程を配布した会社は、この2年で急速に増えました。それでも、社内で聞き取りをすると同じ答えが返ってきます。「議事録の要約は個人のアカウントでやっています」「英訳は速いほうを使っています」。禁止されていることを知らないわけではありません。知ったうえで、速いほうを選んでいるのです。

この状態を、いまは業界用語でシャドーAIと呼びます。会社が把握していない生成AIの利用、つまり情報システム部門の管理下にないアカウントで業務データが処理されている状態です。そして2026年に入り、これが「行儀の悪い社員の話」ではなく、組織のリスク上位に位置づけられました。

3つの一次情報が同じ方向を指している

IPA(情報処理推進機構)が2026年1月29日に発表した「情報セキュリティ10大脅威 2026」では、組織向けの1位がランサム攻撃、2位がサプライチェーンや委託先を狙った攻撃、そして3位に「AIの利用をめぐるサイバーリスク」が初めて選出されました。初選出でいきなり3位という順位が、この1年の変化の速さを表しています。

利用率の側から見ると、総務省の『令和8年版 情報通信白書』(2026年7月24日公開)は、日本の生成AI利用経験率が58.8%に達したと報告しています。2024年の調査では26.7%でしたから、倍以上に増えています。同白書では中国が93.6%と示されており、日本はまだ低い部類ですが、全体としてはすでに「半分以上の人が触ったことがある」段階に入りました。企業側の懸念としては「効果的な活用方法がわからない」に次いで「社内情報の漏えい等のセキュリティリスク」が挙がっています。使う人は増え、懸念は残ったままというのが現在地です。

そして被害額です。IBMの『Cost of a Data Breach Report 2025』によれば、調査対象となった侵害の20%がシャドーAI経由でした。5件に1件です。さらに、シャドーAIの関与が大きい侵害では、平均で670,000 USD(23,450,000バーツ)が通常の侵害コストに上乗せされています。同報告では、世界平均の侵害コストは 4,440,000 USD(155,400,000バーツ)とされています。シャドーAIが絡む場合は、その上に 23,450,000バーツが積み増されるということです。同報告はもうひとつ重要な指摘をしています。AIが絡む侵害の97%は、適切なアクセス制御を欠いていたというものです。

「何もしない」は0円ではない

ここで押さえるべきは、後述する構成Aの5年総額が5,180,000バーツであることとの比較です。シャドーAI関与による上乗せ分 23,450,000 を 5,180,000 で割ると約4.5倍。つまり、5年間かけて正規の入口を作って運用する費用の4.5倍が、1回の事故の「上乗せ分だけ」で飛びます。しかも上乗せ分であって、侵害そのものの費用は別勘定です。

判断を先送りにすることは、無料の選択肢ではありません。 発生確率が低いから許容する、という判断はあり得ますが、その場合でも「何を許容したのか」を書き残しておくべきです。規程だけを配って対策済みとみなすのは、許容ではなく計測の放棄です。

なぜ規程では止まらないのか

理由は単純です。規程は行動を禁止しますが、代替手段を用意しません。 現場の担当者にとって、月曜の朝に届いた英文メールを10分で返す必要がある、という状況は変わりません。個人アカウントなら15秒で開けます。正規の入口が「申請してから3営業日」「専用端末まで移動」「使えるのは特定部署だけ」であれば、規程がどれだけ厳しくても勝負になりません。

したがって、シャドーAIを止める条件はひとつです。正規の入口が、個人アカウントより速くて便利であること。 この条件を満たさない限り、どんな構成を入れても①の漏れ方(後述)は塞がりません。逆に言えば、構成の選定基準は「安全性の高さ」ではなく「安全でありながら速いこと」になります。規程そのものの作り方については生成AI利用規程の作り方で別途整理していますが、規程は入口ができた後に効くものであって、入口の代わりにはなりません。

セキュア生成AI環境の3構成 — A / B / C は何が違うのか

正規の入口の作り方は、実務上3つに集約されます。どれを選ぶかで、費用の構造も、塞げるリスクの範囲も変わります。

構成何を作るか生成AIが動く場所
A SaaSテナント統制型法人契約のAIサービスを1本化し、SSO・監査ログ・DLPで統制するベンダーのテナント
B APIラッパー型法人向けAPIの上に自社チャットUIを作り、権限とログを自社で持つ自社が選んだクラウドリージョン
C 閉域・自社ホスト型オープンウェイトLLMを自社のGPUサーバで動かし、社外にトークンを出さない自社のサーバ室

構成A SaaSテナント統制型 — 買ってきた入口に鍵をかける

すでに完成しているAIサービスを法人契約し、全社員がそこだけを使う状態を作る方式です。作るのはアプリケーションではなく、統制の仕組みです。SSOと条件付きアクセスで社給アカウント以外からは入れないようにし、DLPと情報ラベルで機密文書の貼り付けを制御し、利用ログを収集して誰が何に使ったかを追える状態にします。

最大の利点は速さです。UIはすでにあり、品質もベンダーが継続的に改善します。導入から利用開始までの期間が最も短く、現場から見た使い勝手も、多くの場合いちばん個人アカウントに近いのが通例です。「正規の入口が速い」という条件を最も素直に満たすのがこの構成です。

弱点は席あたりの単価が固定でかかること、そしてデータの保存先が原則としてベンダーのテナントであることです。Microsoft 365 Copilot を例に取ると、1ユーザーあたり月30 USD(年間契約、ベースのMicrosoft 365は別途必要)で、35バーツ換算では月1,050バーツになります。この単価が席数分そのまま積み上がります。具体的な展開手順はMicrosoft Copilot導入の進め方で扱っています。

構成B APIラッパー型 — 入口を自社で作る

法人向けのモデルAPIを契約し、その上に自社のチャットUIを載せる方式です。認証は社内のIDに繋ぎ、部署ごとの権限を自社で定義し、監査ログは自社のストレージに落とします。社内文書を検索して回答に使うRAGを組み合わせるのも、この構成の典型的な形です。

利点は3つあります。ひとつ、席を増やしても増えるのはトークン利用料だけなので、規模が大きいほど有利になります。ふたつ、社内文書との接続や、承認フローへの組み込みといった業務固有の作りこみができます。みっつ、データの保存先リージョンを自社で選べます。

弱点は、UIも権限もログも自分で作る必要があることです。作れば作った分だけ初期費用がかかり、作った後は保守が続きます。RAGの構築については工場のRAG構築で具体的な工数感を扱っています。

構成C 閉域・自社ホスト型 — トークンを社外に出さない

オープンウェイトのLLMを自社のGPUサーバで動かし、入力も出力も社内ネットワークの外に出さない方式です。技術的には最も強い分離ができます。

ただし後の章で見るとおり、費用は構成Aの2.1倍になる一方で、それによって追加で塞げるリスクは5つの漏れ方のうち1つだけです。Cは回収で選ぶ構成ではありません。 契約や規制の側から「このデータは国外に出せない」という制約が実在する場合の必要経費として選ぶものです。制約がないのにCを選ぶと、費用だけが増えて、しかも現場の使い勝手はA・Bに劣るという最悪の組み合わせになります。

5年総額の比較 — 5,180,000 / 5,728,100 / 10,863,040

セキュア生成AI環境2026|3構成の費用と守れる範囲 - figure 2

ここからは金額です。モデルは冒頭の拠点条件、すなわち生成AIを使う60席を前提にします。5年総額は「初期費用 + 年額 × 5」で計算します。以下のバーツ建て金額は、TOMAS TECHが実案件の相場から組んだ想定モデルの試算であり、公的統計や業界調査の数値ではありません。 自社の見積を読むための物差しとして使ってください。

構成A SaaSテナント統制型

項目金額
初期 SSO・条件付きアクセス設定180,000
初期 DLP・情報ラベル設計220,000
初期 利用ログ基盤120,000
初期 教育と規程改訂160,000
初期費用 計680,000
年額 ライセンス 60席 × 1,050/月756,000
年額 ログ監視・アカウント棚卸し144,000
年額 計900,000
5年総額5,180,000

ライセンスは 60席 × 1,050バーツ × 12ヶ月 = 756,000バーツ/年。5年で 3,780,000 です。5年総額 5,180,000 に対して 3,780,000 ÷ 5,180,000 = 73%構成Aの費用は、その7割超がライセンスです。 統制の仕組みそのもの(初期680,000と年額144,000)は、5年で 680,000 + 720,000 = 1,400,000 にすぎません。

構成B APIラッパー型

項目金額
初期 社内チャットUI構築850,000
初期 認証・権限(SSO・グループ連携)230,000
初期 監査ログとDLPフィルタ340,000
初期 RAG接続(社内文書 20,000ページ)620,000
初期 検証と教育260,000
初期費用 計2,300,000
年額 モデル利用料109,620
年額 クラウド基盤(ベクトルDB・実行環境・ログ保管)216,000
年額 保守・改善(月1回の権限とプロンプトの見直し)360,000
年額 計685,620
5年総額5,728,100

初期費用はAの3.4倍近くになりますが、年額はAの900,000より低い685,620です。初期で払って年額で取り返す構造になっています。

構成C 閉域・自社ホスト型

項目金額
初期 推論用GPUサーバ 2台 × 1,450,0002,900,000
初期 設置・冗長電源・ネットワーク480,000
初期 推論基盤構築(オープンウェイトLLMの量子化と評価)760,000
初期 社内UIとRAG900,000
初期 検証と教育300,000
初期費用 計5,340,000
年額 電力94,608
年額 ハードウェア保守290,000
年額 運用要員(月0.3人月相当)540,000
年額 モデル更新と再評価180,000
年額 計1,104,608
5年総額10,863,040

電力は 2台 × 平均1.2kW = 2.4kW を年間8,760時間で回す前提です。2.4 × 8,760 = 21,024 kWh、これに 4.5バーツ/kWh を掛けて 94,608バーツ/年。GPUサーバは電気代よりも、保守と運用要員のほうがはるかに大きい費目になります。

5年総額を並べると、10,863,040 ÷ 5,180,000 = 2.1倍、差額は 5,683,040 バーツです。

効果と回収 — 3構成に共通の前提

3構成とも、現場で得られる効果は基本的に同じものとして計算します。60席が1日あたり15分の作業時間を削減できるとすると、

  • 60席 × 15分 × 月20日 × 12ヶ月 = 216,000分/年 = 3,600時間/年
  • ホワイトカラーの時間単価を320バーツとして、3,600 × 320 = 1,152,000バーツ/年

この年間効果から各構成の年額を引いたものが、年間の正味です。初期費用をそれで割ると回収年数が出ます。

構成初期費用年額年間の正味回収
A SaaSテナント統制型680,000900,000252,0002.7年
B APIラッパー型2,300,000685,620466,3804.9年
C 閉域・自社ホスト型5,340,0001,104,60847,392112.7年

計算を示すと、Aは 680,000 ÷ 252,000 = 2.7年、Bは 2,300,000 ÷ 466,380 = 4.9年、Cは 5,340,000 ÷ 47,392 = 112.7年です。Cの数字は誤植ではありません。年間効果 1,152,000 に対して年額が 1,104,608 かかるため、年に47,392しか残らず、初期の5,340,000を返し終わりません。Cは実質的に回収しない構成です。 繰り返しますが、Cを選ぶ理由は回収ではなく、越境させられない契約や規制がある場合の必要経費です。

費用の9割はモデル利用料の外側にある

ここが本記事の核心です。構成Bの5年総額 5,728,100 のうち、モデル利用料はいくらだと思われるでしょうか。

構成Bのモデル利用料を1トークンから積み上げる

台帳の前提に沿って計算します。

  • 60席 × 月300リクエスト × 12ヶ月 = 216,000 リクエスト/年
  • 1リクエストあたりの平均を、入力3,000トークン・出力700トークンとする
  • 年間の入力トークン = 216,000 × 3,000 = 648,000,000 トークン
  • 年間の出力トークン = 216,000 × 700 = 151,200,000 トークン
  • 入力の単価は 2.50 USD/100万トークン。35バーツ換算で 87.5バーツ/100万トークン
  • 出力の単価は 10.00 USD/100万トークン。35バーツ換算で 350バーツ/100万トークン
  • 入力費用 = 648 × 87.5 = 56,700バーツ
  • 出力費用 = 151.2 × 350 = 52,920バーツ
  • 合計 = 56,700 + 52,920 = 109,620バーツ/年

5年で 548,100バーツ。5年総額 5,728,100 に占める割合は 548,100 ÷ 5,728,100 = 9.6% です。

残りの90.4%は、モデルの利用料ではありません。 チャットUIの構築(850,000)、認証と権限(230,000)、監査ログとDLPフィルタ(340,000)、RAG接続(620,000)、検証と教育(260,000)、そして年額のクラウド基盤(216,000)と保守・改善(360,000)です。すべて、入口を1本にまとめて統制するための費用です。

この事実が実務で効くのは、社内の議論が「どのモデルが安いか」に流れがちだからです。モデルの単価が半分になっても、構成Bの5年総額は 5,728,100 から 5,454,050 に下がるだけで(削減額は548,100の半分の274,050)、削減率は4.8%にとどまります。モデル選定より、UIと権限とログをどこまで作るかのほうが、約9.4倍(90.4% ÷ 9.6%)費用に効きます。

席数70で、AとBの順位が入れ替わる

構成Aは席あたりのライセンスが積み上がり、構成Bは席が増えてもトークン利用料しか増えません。したがって、どちらが安いかは席数で決まります。席数を n として式にします。

  • 構成A 5年総額 = 1,400,000 + 63,000n
  • 固定部分は初期680,000 + 年額のログ監視144,000 × 5年 = 1,400,000
  • 変動部分は 1,050バーツ × 12ヶ月 × 5年 = 63,000バーツ/席
  • 構成B 5年総額 = 5,180,000 + 9,135n
  • 固定部分は初期2,300,000 + (クラウド基盤216,000 + 保守360,000)× 5年 = 5,180,000(構成Aの5年総額と同じ数字になりますが、偶然の一致です)
  • 変動部分は 109,620 ÷ 60席 = 1,827バーツ/席/年、5年で 9,135バーツ/席

両者が一致するのは、63,000n − 9,135n = 5,180,000 − 1,400,000、すなわち 53,865n = 3,780,000 → n = 70.2約70席が分岐点です。

席数構成A 5年総額構成B 5年総額
30席3,290,0005,454,050Aが 2,164,050 安い
60席(モデル)5,180,0005,728,100Aが 548,100 安い
約70席約 5,810,000約 5,819,000ほぼ同額
100席7,700,0006,093,500Bが 1,606,500 安い

30席の拠点でBを選ぶと、5年で 2,164,050バーツ余計に払うことになります。逆に100席の拠点でAを選ぶと、5年で 1,606,500バーツを取り逃がします。同じ「正解」が拠点によって反転するということです。

ここから導かれる実務上の結論は、タイの単一拠点だけで判断してはいけない、というものです。タイ50席、ベトナム30席、インドネシア25席のように地域内で合計105席になるなら、拠点ごとにAを契約するより、地域共通のBを1本立てるほうが安くなります。分岐点の70席は「1拠点の席数」ではなく「同じ入口を共有できる席数」で数えてください。 各社サービスの機能差を含めた比較は企業向け生成AIサービスの比較にまとめています。

5つの漏れ方と、構成ごとに塞げる範囲

費用の話をしたので、次は「その金額で何が塞がるのか」です。生成AIをめぐる情報漏えいは、実務上5つの型に整理できます。

漏れ方構成A構成B構成C
① 個人アカウントへの持ち出し(シャドーAI)塞げる塞げる塞げる
② 入力データの越境(PDPA 第28・29条)条件付き条件付き塞げる
③ 権限を越えた社内文書の閲覧条件付き塞げる塞げる
④ 出力の鵜呑み(誤った内容の業務反映)塞げない塞げない塞げない
⑤ 退職者・委託先のアクセス残存塞げる塞げる塞げる

① 個人アカウントへの持ち出し — 条件つきの「塞げる」

3構成とも塞げますが、条件があります。正規の入口が個人アカウントより速い場合だけです。ログインに毎回二要素認証を求め、社給ノートPCからしか開けず、応答に20秒かかる入口を作れば、現場は静かに個人アカウントへ戻ります。しかもその時には「規程も守っていないし、ログにも残らない」という、導入前より悪い状態になります。

この条件を満たすために測るべき指標は3つです。入口を開いてから最初の応答が返るまでの秒数、社給スマートフォンから使えるかどうか、そして申請から利用開始までの日数。 表の①に「塞げる」と書けるかどうかは、この3つで決まります。技術構成の選択ではありません。

② 入力データの越境 — 保存先を選べるかどうか

Cだけが無条件で塞げます。A・Bが「条件付き」なのは、データレジデンシー(保存先リージョン)を選べるかどうかと、契約の内容次第だからです。

具体例として、OpenAIのデータレジデンシーは日本・インド・シンガポール・韓国で保存先を選べます(ChatGPT Enterprise / Edu / API が対象)。しかしタイ国内のレジデンシーは対象外です。つまりタイ拠点で使う場合、個人データを含む入力は必ず国外に出ます。ここでPDPA第28条・第29条の越境移転の話になります(次章で詳述)。

③ 権限を越えた社内文書の閲覧 — 棚卸しをしない限り塞がらない

Aが「条件付き」なのは、SaaS型のAIアシスタントが既存の共有フォルダやSharePointの権限をそのまま引き継ぐためです。「本人が開ける文書は、AIも読んで要約する」という設計になっています。これ自体は正しい設計です。問題は、多くの会社で共有フォルダの権限が実態と合っていないことです。

紙のファイルなら、人事フォルダの奥にある給与テーブルを部外者が偶然開くことはまずありません。しかしAIアシスタントは、「昨年度の賞与の傾向を教えて」という質問に対して、権限があるファイルを横断的に読んで答えます。権限の穴が、検索性の向上によって一気に顕在化するわけです。

Bが「塞げる」となっているのは、RAGを自社で組む際に、AIが参照する文書集合を業務目的に沿って明示的に定義するためです。ただしこれも自動ではありません。構成の違いではなく、権限棚卸しをやったかどうかの違いだと理解してください。Aでも棚卸しをすれば塞がります。

④ 出力の鵜呑み — どの構成でも塞げない

これは技術で塞げません。 閉域のGPUサーバで動かしても、モデルは誤った内容を自然な文章で出力します。むしろCのように「社外に出ていないから安全」という感覚が生まれると、出力の検証がおろそかになる分、リスクは上がります。

製造業の現場で実害になりやすいのは、次のような場面です。仕様書の要約を鵜呑みにして図面の公差を誤る。輸出書類のHSコードをAIに聞いてそのまま申告する。規格の適合条件をAIに要約させ、原文を確認せずに検査基準に反映する。いずれも、生成AIが「もっともらしく間違える」領域です。

対策は検証の手順だけです。 具体的には次の3点を文書で決めます。ひとつ、AIの出力をそのまま社外に出してよい業務と、必ず人が原文照合する業務を分ける。ふたつ、原文照合が必要な業務では、照合した人の名前と日付を記録に残す。みっつ、数値・法令・規格・型番の4種類は、出力に含まれていても必ず一次情報で確認する。

この3点は費用表のどこにも大きく現れませんが、5つの漏れ方のうち、唯一お金で解決できない項目です。構成の議論に時間を使う会社ほど、ここが空欄のまま運用開始しがちです。

⑤ 退職者・委託先のアクセス残存

3構成とも塞げます。ただし塞げるのは、AIの入口を社内IDに紐づけている場合だけです。部署共通のアカウントを1つ作って回す運用にすると、退職者が使い続けられる状態が残り、しかもログを見ても誰が使ったか分かりません。IBMが指摘する「AI関連侵害の97%がアクセス制御を欠いていた」という数字は、まさにここを指しています。

委託先については、契約側の対応が必要です。委託契約に「委託業務で得たデータをAIのモデル学習に使用しない」旨を明記すること、委託先アカウントの棚卸し頻度を決めること。この2点はどの構成でも共通です。

タイ拠点で追加される4つの論点

セキュア生成AI環境2026|3構成の費用と守れる範囲 - figure 3

ここまでは日本国内でも成り立つ話でした。タイに拠点を持つ場合、さらに4つの論点が加わります。

論点1 PDPA第28条・第29条の越境移転

タイの個人データ保護法(PDPA)は、第28条・第29条で個人データの国外移転を規律しています。実務で問題になるのは、十分性認定の国リストがまだ公表されていないことです。したがって現時点では、標準契約条項(SCC)、拘束的企業準則(BCR)、または明示同意のいずれかで対応することになります。

前進もありました。タイ個人データ保護委員会(PDPC)は2026年4月にBCRを承認し、BCRが実務で使える状態になりました。日系企業のようにグループ内で日本本社とデータをやり取りする構造では、BCRは有力な選択肢です。

生成AIとの関係で重要なのは、「AIサービスに入力する」という行為が越境移転に該当し得るという点です。前章のとおり、OpenAIのデータレジデンシーはタイを対象にしていません。契約するサービスごとに、タイ国内に保存先を置けるかを個別に確認してください。構成A・Bを選ぶ場合、入力に個人データが含まれる業務を洗い出し、その業務についてSCC・BCR・明示同意のどれで根拠づけるかを決めておく必要があります。

論点2 PDPCのAIガイドライン案(2026年2月)

PDPCは2026年2月に「AIの開発・利用における個人データ保護ガイドライン(案)」を公表しました。実務に効く指摘は2つです。ひとつ、データ処理契約にモデル学習への利用禁止を含めること。 ふたつ、高リスクAIにはデータ保護影響評価(DPIA)を求めること。

前者は、ベンダーとの契約書を1行確認すれば済む話です。法人向けプランでは入力データを学習に使わない旨が明記されているのが通例ですが、明記されているのが「利用規約」なのか「自社との契約書」なのかは区別して確認してください。後者のDPIAは、人事評価や与信のようにヒトの権利に影響する用途でAIを使う場合に効いてきます。議事録の要約や翻訳といった用途であれば、通常は高リスクには当たりません。

論点3 NCSAのAIセキュリティガイドライン(2025年9月)

タイ国家サイバーセキュリティ庁(NCSA)は2025年9月にAIセキュリティのガイドラインを示しています。内容は ISO/IEC 42001:2023NIST AI RMF に整合する形で組まれており、独自要求というより国際規格への橋渡しの性格が強いものです。

実務的な意味は、ISO/IEC 42001に沿ってAIマネジメントの記録を残しておけば、タイ側の説明にもそのまま使えるということです。本社側でISO/IEC 42001の取得や整備を進めている会社であれば、タイ拠点で別立ての体系を作る必要はありません。

論点4 タイのAI法案は、まだ成立していない

ここは誤解が多いところです。タイ電子取引開発機構(ETDA)は2026年7月2日に新しいドラフト(Draft Act on Artificial Intelligence)を公開し、約30日間のパブリックヒアリングを実施しました。現時点でこの法律は成立していません。 ドラフト段階です。

ドラフトで想定されている内容は、リスクベースの分類、AI生成物についての透明性義務、AI起因の損害に対する責任、そして100万〜500万バーツの制裁金です。

注意していただきたいのは、ベトナムのAI法とは別の法律だという点です。両者を混同した解説が流通しており、ベトナム側の話がタイの話として引用されている資料を見かけます。「タイでAI法が施行された」と書かれた資料を見かけたら、まず出典と日付を確認してください。

実務としては、成立していない法律に合わせて設計する必要はありません。ただし、ドラフトで示された方向(リスク分類・透明性・責任・記録)は、ISO/IEC 42001やPDPCガイドライン案と大きくは矛盾しません。いま整備しておくべきは法律の条文への対応ではなく、「どの業務でAIを使い、誰が出力を検証し、ログをどこに残しているか」を説明できる状態です。これができていれば、成立後の対応は差分で済みます。

90日で正規の入口を立てる順序

構成を選んだ後の話です。ここでも原則は同じで、「正規の入口を、個人アカウントより速くする」ことが最優先になります。順序を間違えると、統制だけが先に立ち上がって現場が離れます。

1〜30日目 実態を測り、構成を決める

最初にやるのは規程の改訂ではなく、計測です。

ひとつ、席数を数える。 全社員ではありません。生成AIを日常業務で使う人の数です。モデル拠点では620名のうちホワイトカラー120名、そのうち60席と見積もりました。工場ワーカーは端末を持たないため対象外です。ここで数えた席数が、前章の70席の分岐点に対してどちら側にあるかで、AかBかがほぼ決まります。

ふたつ、いま何に使われているかを聞き取る。 処罰の材料にしないと明言したうえで、部署ごとに用途を集めます。ほとんどの場合、翻訳・要約・メール文案・議事録の4つで大半を占めます。この4つが速く回るかどうかが、入口の成否を決めます。

みっつ、越境に該当する用途を洗い出す。 入力に個人データが入る業務(人事、購買先の担当者情報、顧客の連絡先など)を特定し、SCC・BCR・明示同意のどれで根拠づけるかを決めます。ここだけは法務・人事を巻き込む必要があるため、早く始めてください。

31〜60日目 入口を作り、権限を棚卸しする

構成Aなら、SSOと条件付きアクセス、DLP、ログ基盤の設定です。構成Bなら、UIと認証、ログ、RAGの構築が走ります。

同時に必ずやるべきなのが、③の権限棚卸しです。AIが読める範囲は、社員が読める範囲と同じになります。共有フォルダとSharePointの権限を、部署単位で「いま誰が開けるか」の一覧にして、実態と違うものを直します。この作業は地味ですが、やらなければ構成に関係なく③は塞がりません。

そしてこの時期に、④の検証手順を文書化します。原文照合が必要な業務のリスト、記録の残し方、数値・法令・規格・型番の4種類は必ず一次情報で確認するというルール。1ページで足ります。

61〜90日目 速さを測り、規程を後から合わせる

入口が動いたら、真っ先に測るのは利用率ではなく速さです。ログインから最初の応答までの秒数、社給スマートフォンからの利用可否、申請から利用開始までの日数。 この3つが個人アカウントに勝っていなければ、利用率は上がりません。上がらないまま規程を厳しくしても、シャドーAIに戻るだけです。

規程の改訂は最後です。入口が動いてから、その入口の使い方として規程を書く。 順序が逆になると、禁止事項だけが先に配られ、現場は代替手段のないまま個人アカウントを使い続けることになります。

90日目の完了条件は、次の4つが揃っている状態です。ひとつ、入口が1本になっている。ふたつ、誰が何に使ったかログで追える。みっつ、権限棚卸しが終わっている。よっつ、④の検証手順が文書になっていて、対象業務の担当者が読んでいる。

よくある質問(FAQ)

セキュア生成AI環境とは?

社員が生成AIを使う入口を会社が1本にまとめ、認証・権限・ログ・データの保存先を会社が把握できる状態にした環境のことです。重要なのは、これが禁止の仕組みではなく代替手段の提供だという点です。正規の入口が個人アカウントより速くて便利でなければ、環境を作っても使われず、シャドーAIは残ります。

社内AI構築の費用はいくらか?

60席のモデル拠点では、5年総額で構成A(SaaSテナント統制型)が 5,180,000バーツ、構成B(APIラッパー型)が 5,728,100バーツ、構成C(閉域・自社ホスト型)が 10,863,040バーツ という試算になります。ただしこれはTOMAS TECHの想定モデルであり、公表統計ではありません。自社の見積を読むときは、総額より「モデル利用料以外に何がいくら入っているか」を見てください。構成Bでは5年総額の90.4%がモデル利用料の外側の費用です。

閉域・自社ホスト型(オンプレLLM)は必要か?

多くの場合は不要です。構成Cは5年総額10,863,040で構成Aの2.1倍(差額5,683,040)ですが、それによって追加で塞げるのは5つの漏れ方のうち②の「入力データの越境」1つだけです。回収年数は112.7年で、実質的に回収しません。Cが正当化されるのは、契約や規制で「このデータは国外に出せない」という制約が実在する場合です。制約がないのに閉域を選ぶと、費用が2.1倍になったうえに現場の使い勝手が落ちます。

生成AI利用規程だけでは足りないのか?

足りません。規程は行動を禁止しますが、代替手段を提供しないためです。IBMの2025年報告では侵害の20%がシャドーAI経由であり、シャドーAIの関与が大きい侵害では平均670,000 USD(23,450,000バーツ)が上乗せされています。これは構成Aの5年総額5,180,000の4.5倍です。規程は入口ができた後に効くものであって、入口の代わりにはなりません。

タイのAI法はもう守らなければならないのか?

2026年8月時点で、タイのAI法は成立していません。 ETDAが2026年7月2日に新しいドラフト(Draft Act on Artificial Intelligence)を公開し、約30日のパブリックヒアリングを実施した段階です。ドラフトではリスクベースの分類、AI生成物の透明性義務、AI起因の損害への責任、100万〜500万バーツの制裁金が想定されています。なお、施行段階に入っているベトナムのAI法とは別物ですので混同しないでください。いま守る義務があるのはPDPA(第28条・第29条の越境移転を含む)であり、PDPCが2026年2月に公表したAIガイドラインは案の段階です。

海外拠点だけ先に生成AI環境を作ってよいか?

可能ですが、席数の数え方に注意が必要です。構成AとBが入れ替わる分岐点は約70席ですが、これは「同じ入口を共有できる席数」で数えます。タイ単独で50席ならAが有利ですが、ベトナム30席・インドネシア25席を合わせて105席になるなら、地域共通のBを1本立てるほうが5年で安くなります(100席の比較ではBが1,606,500安い)。逆に、拠点ごとに別々のBを作ると初期費用の2,300,000が拠点数だけ重複します。先に作るのは構いませんが、後から他拠点を載せられる形にしておくことをおすすめします。

まとめ

シャドーAIは規程では止まりません。止まるのは、正規の入口が個人アカウントより速くて便利なときだけです。 だから決めるべきは規程の厳しさではなく、正規の入口をどの構成で作るかです。

そして構成の費用差は、多くの人が想像する「モデルの利用料」には出ません。構成B(APIラッパー型)の5年総額5,728,100のうち、モデル利用料は548,100(9.6%)しかありません。残る90.4%は認証・ログ・権限・RAG・保守、すなわち入口を1本にまとめるための統制コストです。逆に構成A(SaaSテナント統制型)は5年総額5,180,000の73%(3,780,000)がライセンスです。この構造の違いが席数による逆転を生み、約70席を境にAとBの有利不利が入れ替わります(30席ではAが2,164,050安く、100席ではBが1,606,500安い)。

構成C(閉域・自社ホスト型)は5年総額10,863,040で構成Aの2.1倍、回収は112.7年で実質的に回収しません。それでいて追加で塞げるのは5つの漏れ方のうち②の越境1つだけです。そして④の「出力の鵜呑み」は、A・B・Cのどの構成でも塞げません。 塞ぐ手段は技術ではなく、誰が何を確認して業務に入れるかという検証の手順だけです。

一方で、「何もしない」は0円ではありません。IBMの2025年報告では侵害の20%がシャドーAI経由で、シャドーAIが絡む侵害には平均23,450,000バーツが上乗せされます。構成Aの5年総額の4.5倍です。1回起きれば、順位は逆転します。

TOMAS TECHでは、どの構成が自社に合うかの切り分けだけのご相談も承っています。 席数の数え方、越境に該当する業務の洗い出し、既存のSharePoint権限がAIにどう流れ込むか。この3つを伺えば、AとBのどちらが妥当か、Cを検討する理由が実在するかは、その場である程度お話しできます。導入を決めていない検討段階で構いません。ご相談はお問い合わせフォームからお寄せください。

参考情報

1. IPA「情報セキュリティ10大脅威 2026」2026年1月29日発表

https://www.ipa.go.jp/pressrelease/2025/press20260129.html

組織向けの1位がランサム攻撃、2位がサプライチェーンや委託先を狙った攻撃、3位に「AIの利用をめぐるサイバーリスク」が初選出されたという点を参照しました。

2. IBM「Cost of a Data Breach Report 2025」

https://www.ibm.com/reports/data-breach

侵害の20%がシャドーAI経由であること、シャドーAIの関与が大きい侵害では平均670,000 USDが上乗せされること、世界平均の侵害コストが4,440,000 USDであること、AI関連侵害の97%が適切なアクセス制御を欠いていたことを参照しました。

3. 総務省「令和8年版 情報通信白書」2026年7月24日公開

https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r07/html/nd112220.html

日本の生成AI利用経験率が58.8%(2024年調査では26.7%)に達したこと、中国は93.6%であること、企業の懸念が「効果的な活用方法がわからない」に次いで「社内情報の漏えい等のセキュリティリスク」であることを参照しました。

4. Mondaq「Thailand Releases New Draft Artificial Intelligence Act」

https://www.mondaq.com/it-and-internet/1811290/thailand-releases-new-draft-artificial-intelligence-act

ETDAが2026年7月2日に新しいドラフトを公開し約30日のパブリックヒアリングを実施したこと、法律はまだ成立していないこと、リスクベースの分類・AI生成物の透明性義務・AI起因の損害への責任・100万〜500万バーツの制裁金が想定されていることを参照しました。

5. Tilleke & Gibbins「Comprehensive Policy|Thailand’s AI Governance Framework」

https://www.tilleke.com/insights/comprehensive-policy-thailands-ai-governance-framework/

タイ個人データ保護委員会(PDPC)が2026年2月に「AIの開発・利用における個人データ保護ガイドライン(案)」を公表し、データ処理契約にモデル学習への利用禁止を含めること、高リスクAIにデータ保護影響評価(DPIA)を求めることを提示している点を参照しました。

6. Tilleke & Gibbins(同上)タイ国家サイバーセキュリティ庁(NCSA)のAIセキュリティガイドライン

https://www.tilleke.com/insights/comprehensive-policy-thailands-ai-governance-framework/

NCSAが2025年9月に示したAIセキュリティガイドラインが、ISO/IEC 42001:2023およびNIST AI RMFと整合する形で組まれている点を参照しました。

7. Baker McKenzie「Thailand|PDPC Approved BCRs for Cross-Border Transfers」

https://www.bakermckenzie.com/en/insight/publications/2026/04/thailand-pdpc-approved-bcrs-for-cross-border-transfers

PDPCが2026年4月に拘束的企業準則(BCR)を承認し実務で使える状態になったこと、十分性認定の国リストが未公表のため実務では標準契約条項(SCC)・BCR・明示同意で対応することを参照しました。PDPA第28条・第29条は越境移転を規律しています。

8. OpenAI「Introducing data residency in Asia」

https://openai.com/index/introducing-data-residency-in-asia/

ChatGPT Enterprise / Edu / API において日本・インド・シンガポール・韓国で保存先を選べること、タイ国内のデータレジデンシーは対象外であることを参照しました。

9. Microsoft「Microsoft 365 Copilot」

https://www.microsoft.com/en-us/microsoft-365/copilot/business

Microsoft 365 Copilot が1ユーザーあたり月30 USD(年間契約、ベースのMicrosoft 365が別途必要)であることを参照し、35バーツ換算で月1,050バーツとして構成Aのライセンス単価に用いました。