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2026.08.29

海外拠点の生成AI導入|本社主導のロードマップとガバナンス設計

海外拠点の生成AI導入|本社主導のロードマップとガバナンス設計

タイやベトナムに製造拠点を持つ企業から、海外拠点の生成AI導入をどう進めるべきかという相談が増えています。難しいのは、拠点ごとに法規制も利用の進み具合も業務で使う言語も違うことです。本社が一律のルールを配れば現場が使えなくなり、拠点に任せれば統制が効かなくなります。本記事では、タイとベトナムで実際に何が違うのかを公開データで確認したうえで、本社主導で複数拠点へ展開するときの失敗パターン、共通基盤からガバナンス設計までのロードマップ、拠点別の規制対応の要点を整理します。

海外拠点の生成AI活用には拠点ごとの温度差がある

複数拠点への展開を考えるとき、最初にやるべきなのはツールの比較検討ではありません。自社が持っている拠点が、それぞれどういう環境に置かれているのかを把握することです。同じASEANの中でも、生成AIをめぐる状況は国ごとにかなり違います。しかもその違いは「進んでいる国」と「遅れている国」という一本の軸では説明できません。

海外拠点の生成AI導入|本社主導のロードマップとガバナンス設計 - figure 1

日本国内でも規模による格差が平均値に隠れている

拠点間の格差を考える前に、国内の状況を押さえておくと構造が見えやすくなります。帝国データバンクが2026年5月14日に公表した「生成AIに関する企業の動向調査(2026年3月)」によると、生成AIを活用している企業は全体の34.5%でした。この内訳として「非常に活用している」が4.4%、「やや活用している」が30.2%と示されています(端数処理の関係で合計は全体の値と一致しません)。この調査は23,349社を対象に実施され、10,312社から有効回答を得ています。

注目したいのは、この34.5%という平均値の裏側です。企業規模別に見ると、大企業が46.5%、中小企業が32.4%、小規模企業が28.0%となっており、規模によって差があります。従業員数で切るとさらに差は開きます。1,000人超の企業が63.6%、301〜1,000人が51.9%、5人以下が29.6%です。従業員数1,000人超と5人以下では、活用率が2倍以上違うことになります。

この数字が海外展開の話とつながるのは、拠点というものが実質的に「規模の違う組織の集まり」だからです。日本本社に数百人、タイ拠点に百数十人、ベトナム拠点に数十人という構成は珍しくありません。国内の調査で規模によってこれだけ活用率が違うのであれば、本社と海外拠点の間、あるいは海外拠点同士の間でも、同じような格差が生じていると考えるのが自然です。実際、本社の情報システム部門が「うちは生成AIをかなり使えている」と感じていても、それは本社という最も規模の大きい組織の実感であって、拠点の実感とは違うことがよくあります。

平均値だけを見て展開計画を立てると、この格差が見えなくなります。展開の設計で先に確認すべきなのは、全社平均ではなく拠点ごとの分布です。

タイは投資が先行し、規制はこれから整う段階にある

次に、タイの状況を見ていきます。タイで目立つのは資本の動きです。タイ投資委員会(BOI)が2026年7月23日に公表した内容によると、2026年上半期の投資申請額は436億ドル、金額にして約1.47兆バーツ、件数は1,299件でした。前年同期比で37%増という伸びです。

このうち最大のセクターとなったのがデジタル・AIインフラで、330億ドル、約1.12兆バーツを占めています。上半期の申請額全体の大半がこの領域に集中していることになります。データセンターやクラウドインフラへの投資が集まっている状況で、タイでAIを動かすための土台が急速に厚くなっているのは事実です。

一方で、規制の側はまだ形が固まっていません。タイの電子取引開発庁(ETDA)は2026年7月9日にAI法の草案を公開し、2026年8月14日までパブリックコメントを募集しました。この草案はEU AI法に似たリスクベースの規制で、域外適用の規定を含むとされています。ただし2026年8月末時点で、この法律はまだ成立していません。あくまで草案の段階です。

タイ国内の個別のAI導入手順については、タイのAI導入ガイドで単一国の観点から整理しています。本記事では、複数拠点を並べたときにタイがどういう位置にあるかという視点で扱います。

つまりタイは、投資と物理的なインフラが先に立ち上がり、法制度が後から追いつこうとしている状態です。本社の立場から言えば「今は規制の縛りが緩いが、近い将来に条件が変わる可能性がある拠点」という読み方になります。今のうちに何をどう使っているかを記録できる形にしておかないと、法律が成立したときに遡って整理する作業が発生します。

ベトナムは規制整備と利用の両方で先行している

ベトナムはタイと逆の順序で進んでいます。ベトナムはAI法(Law on Artificial Intelligence、法律番号134/2025/QH15)を2025年12月10日に制定し、2026年3月1日にすでに施行しています。あわせてデジタル変革法(法律番号148/2025/QH15)も2026年7月1日に施行済みです。つまりベトナムは、タイより先に国レベルでのAI法制化を完了させています。

利用の実態も先行しています。国際労働機関(ILO)が2026年4月に発行したブリーフ「Generative AI and jobs in Viet Nam」が引用しているMicrosoft AI Economics Instituteの推計によると、ベトナムの生成AI利用率は2025年上期の21.2%から下期には23.5%へ上昇しました。同じ推計でASEAN各国を並べると、タイが10.7%、インドネシアが12.7%、フィリピンが18.3%です。ベトナムはASEANの中でも生成AIの利用が進んでいる側にあり、タイは相対的に低い位置にあります。

同じILOブリーフは、ベトナムの就業者の20.8%、およそ1,150万人が生成AIに曝露する業務に従事しているとも試算しています。これは雇用への影響という文脈で示された数字ですが、企業側から読み替えると「業務の中に生成AIで置き換えられる、あるいは支援できる作業が相当量ある」ということでもあります。

ベトナムでの開発パートナー選定の観点はベトナムAI開発会社の選び方で個別に扱っています。本記事の関心は、この国別の違いが複数拠点を持つ企業にとって何を意味するかにあります。

なお、国をまたいだ比較という観点では、PwC Japanも生成AIに関する実態調査で複数国を並べた比較を継続的に公表しています。個別の数値の読み方は調査ごとに異なりますが、国によって普及の度合いに差があるという傾向自体は、複数の調査に共通して現れているものと捉えておくとよいでしょう。

拠点ごとの違いを一枚に並べて確認する

ここまでの数字を並べると、タイとベトナムの違いがはっきりします。

観点タイベトナム
国レベルのAI法制草案段階。ETDAが2026年7月9日に草案公開、8月14日までパブリックコメント。2026年8月末時点で未成立施行済み。AI法(法律番号134/2025/QH15)を2025年12月10日制定、2026年3月1日施行
関連する制度の動きリスクベース規制で域外適用の規定を含む見込みデジタル変革法(法律番号148/2025/QH15)も2026年7月1日施行済み
生成AI利用率の推計Microsoft AI Economics Institute推計のASEAN比較値で10.7%Microsoft AI Economics Institute推計で2025年上期21.2%から下期23.5%へ上昇
AI関連インフラ投資2026年上半期の投資申請436億ドルのうちデジタル・AIインフラが330億ドルで最大セクター―(本記事では未使用)
雇用への影響の試算―(本記事では未使用)就業者の20.8%、約1,150万人が生成AIに曝露する業務に従事すると試算
本社から見た性格投資先行・規制後追い。今は緩いが条件が変わりうる規制先行・利用も先行。最初からルールに合わせる必要がある

この表で読み取ってほしいのは、優劣ではなく順序の違いです。タイは資本投資が先に来て規制がこれからであり、ベトナムは規制整備が先に完了して利用率も高くなっています。同じ「ASEANの製造拠点」という括りでも、本社が取るべき打ち手は同じになりません。

同じ構造は、先に触れた帝国データバンクの国内データとも重なります。全体で34.5%という平均の下に、1,000人超の63.6%と5人以下の29.6%が同居しているのと同じで、「海外拠点」とひとまとめにした平均は、ほとんど意思決定の役に立ちません。本社が見るべきなのは拠点ごとの分布であり、その分布に合わせて展開の順番と力の入れ方を変えることです。

海外拠点の生成AI導入|本社主導のロードマップとガバナンス設計 - figure 2

上の図は、同じ規模の拠点であっても、その拠点を取り囲む制度の枠組みの厚みが国によって違うことを表しています。左の拠点は制度がまだ固まっていない国、右の拠点はすでに法制化が完了した国で、壁の厚さの差はこの二国間の規制の進み具合の差を表しています。これが複数拠点を持つ企業の出発点です。

本社主導の生成AI展開でよくある失敗

拠点ごとの状況を把握したあと、実際に展開しようとして起きる問題はある程度パターン化されています。ここでは、複数拠点を持つ企業でよく見かける失敗を整理します。

拠点ごとにバラバラのツールが立ち上がる

最も多いのがこれです。本社が方針を出す前に、各拠点が個別に無料版や部門予算で契約したサービスを使い始めてしまうケースです。タイ拠点は現地で人気のあるサービス、ベトナム拠点は開発チームが使い慣れたサービス、本社は日本語対応を重視した別のサービス、という具合に分かれます。

この状態が厄介なのは、後から統合するコストが想像以上に大きいことです。すでに現場が業務フローに組み込んでしまっているため、統一しようとすると「使えていたものを取り上げられる」という反発が起きます。またプロンプトや設定、業務ノウハウがサービスごとに蓄積されているため、乗り換えると現場の生産性が一度落ちます。

本社側が「まだ何も始まっていないだろう」と思っている間に、すでに現場では動き始めていることのほうが多くなっています。これは前述の利用率のデータからも推測できます。ベトナムのように利用率が23.5%まで上がっている環境では、従業員が個人として生成AIに触れている前提で考えたほうが実態に近くなります。

データ越境とセキュリティの検討が後回しになる

次に多いのが、使い方の話ばかりが先行して、データがどこに送られているかの検討が後になるパターンです。生成AIサービスは、入力した情報がどの国のサーバーで処理されるかが利用形態によって変わります。海外拠点の場合、現地の個人情報保護法や、業務データの取り扱いに関する契約上の制約が絡みます。

ベトナムのようにAI法とデジタル変革法がすでに施行されている国では、後から「実は要件を満たしていなかった」と分かったときの手戻りが大きくなります。タイのように法律がまだ草案段階の国でも、草案が域外適用を含むリスクベース規制の方向で議論されている以上、成立後に条件が変わる前提で設計しておくほうが安全です。

現場から見ると、この検討は面倒に映ります。しかし後回しにすると、パイロットで良い結果が出たのに全社展開の直前で法務が止める、という一番もったいない止まり方をします。

日本語前提の運用ルールをそのまま配ってしまう

本社が生成AIの利用規程を整備し、それを英訳して各拠点に配布する。手順としては自然ですが、これだけでは機能しないことが多いです。

理由は3つあります。1つ目は、規程が日本の法令や社内制度を前提に書かれているため、現地の法規制との対応関係が示されていないこと。2つ目は、禁止事項の列挙が中心で「では何をしてよいのか」が読み取れないこと。3つ目は、翻訳の過程で判断基準の微妙な部分が落ちることです。

特に3つ目は見落とされがちです。「機密情報を入力しないこと」と書いたとして、何が機密情報にあたるかの線引きは、日本本社の常識では通じません。拠点の担当者は判断できないので、結果として「よく分からないから使わない」か「気にせず使う」のどちらかに振れます。

生成AI利用規程そのものの作り方については生成AI利用規程の作り方で扱っていますが、海外拠点に展開する場合は、翻訳ではなく現地版として作り直す発想が必要になります。

パイロットを本社だけで実施してしまう

効果検証を本社の部門で行い、良い結果が出たので拠点へ横展開する。この順序も失敗しやすいパターンです。

本社の業務は、日本語のドキュメントが揃っていて、担当者のITリテラシーも比較的高く、社内システムへのアクセスも整っています。この環境で出た成果は、現地拠点の環境では再現しません。現地拠点では、扱う文書がタイ語やベトナム語と英語と日本語の混在で、社内システムの整備状況も違い、担当者のバックグラウンドも多様です。

本社パイロットの結果を持って拠点に説明すると、現地からは「本社の業務だからうまくいっただけ」と受け取られます。この受け取られ方をした時点で、展開は難しくなります。

効果測定の指標が拠点ごとにバラバラになる

各拠点がそれぞれのやり方で効果を測ると、本社が全体像を把握できなくなります。ある拠点は「削減した工数」で報告し、別の拠点は「利用ユーザー数」で報告し、また別の拠点は「導入した業務の数」で報告するといった具合です。こうなると拠点間の比較ができず、どこに追加投資すべきかの判断ができません。

指標を揃えるのは、拠点を評価するためではなく、本社が投資判断をするためです。この目的を先に共有しておかないと、現地には「監視されている」と映ります。

現地のIT部門を巻き込まずに進めてしまう

本社の情報システム部門が主導すると、拠点側のIT担当者が実装の段階まで蚊帳の外に置かれることがあります。しかし実際の運用では、アカウント管理、トラブル対応、現場からの問い合わせ対応は現地のIT担当者が担います。

彼らが設計の意図を理解していない状態で運用だけ引き渡されると、問い合わせに答えられず、結果として利用が広がりません。拠点によってはIT担当者が1人か2人しかいないこともあり、その1人の理解度が拠点全体の定着率を左右します。

海外拠点への生成AI展開ロードマップ

失敗パターンを踏まえて、実際にどういう順序で進めるかを整理します。ここでは4つの段階に分けて説明します。

ステップ1 拠点共通の基盤を先に決める

最初にやるべきなのは、パイロットでも規程作りでもなく、拠点共通で使う基盤を決めることです。順序を間違えて、パイロットの結果を見てからツールを決めようとすると、その間に各拠点で個別導入が進んでしまいます。

共通基盤を選ぶときに見るべき条件は、機能の豊富さよりも先に次の点です。

まず、利用ログを本社側で確認できること。誰がどれだけ使っているかが見えないと、展開の進捗も効果も測れません。次に、データの処理場所や保持方針が契約上明示されていること。これは後段の法規制対応で必ず必要になります。そして、拠点の業務言語に対応していること。タイ語、ベトナム語、英語、日本語が混在する環境で、どこまで実用に耐えるかを事前に確認します。最後に、アカウントの追加と削除が本社側で一元的にできること。人の入れ替わりが多い拠点では、この管理コストが積み上がります。

機能面で完璧なものを探すより、この4点が満たせるものを早めに決めて全拠点に通すほうが、結果的に展開は速くなります。

ステップ2 パイロット拠点を選んで現地で回す

共通基盤が決まったら、パイロットは本社ではなく拠点で実施します。ここで重要なのは、どの拠点を選ぶかです。

選定の基準として使いやすいのは、次の3つです。1つ目は、現地のIT担当者が一定の理解と意欲を持っていること。ここが弱いと、本社が張り付き続けることになります。2つ目は、対象業務が他拠点でも共通して存在すること。その拠点固有の業務で成果を出しても横展開できません。3つ目は、規制環境が厳しい側の国であること。緩い環境で作った運用を厳しい環境に持ち込むより、厳しい側で作ったものを緩い側に展開するほうが手戻りが少なくなります。

3つ目の基準で言えば、AI法がすでに施行されているベトナムをパイロットに選ぶという判断は合理性があります。制約が明確なぶん、何をどこまでやってよいかの線引きが早く固まります。逆に、規制がまだ草案段階のタイでパイロットを回すと、成立後に条件が変わって設計をやり直す可能性が残ります。

パイロットの範囲は、業務を絞って狭く取ります。全社的な効果を出そうとせず、1つか2つの業務で「これは確かに楽になった」と現地の担当者が言える状態を作ることを優先します。

ステップ3 ガバナンスを共通ルールとローカル裁量に分けて設計する

パイロットと並行して進めるのがガバナンス設計です。ここでの考え方の中心は、すべてを本社ルールで縛らないことです。

本社が共通で決めるべきことと、拠点に委ねるべきことを最初に線引きします。この線引きを曖昧にしたまま規程を配ると、拠点は判断できず本社に問い合わせが集中するか、あるいは黙って独自運用に流れます。

領域本社が共通で決める拠点が現地で決める
ツールと基盤使用するサービスの承認リスト、契約と課金の窓口拠点内の部門別の配布先と優先順位
データの取り扱い入力してよい情報の分類基準、社外秘の定義現地法令に基づく個人情報の追加制限
記録と監査ログ保持の方針、報告フォーマットと頻度現地当局への説明が必要な場合の窓口
教育共通の教材と最低限の到達水準使用言語、実施形態、現地事例の追加
業務適用禁止する用途の明示推奨する用途と現地業務への当てはめ

この表の左側は、拠点ごとに違うと統制が効かなくなる部分です。右側は、拠点ごとに違って当然の部分です。本社が右側まで踏み込むと運用が回らなくなり、左側を拠点に委ねると統制が崩れます。

線引きで特に迷いやすいのが「入力してよい情報の分類基準」です。これは本社が共通で決めるべき項目ですが、抽象的な原則だけを示しても現地では使えません。実務で機能させるには、その拠点で実際にやり取りされている文書の種類を挙げて、それぞれが分類のどこに当たるかを具体例として示す必要があります。この作業は現地の担当者と一緒にやらないと精度が出ません。

ステップ4 展開を広げて定着させる

パイロットで手応えが出たら、他拠点へ広げます。この段階で効くのは、成果の数字より現地の担当者による説明です。

同じ内容でも、本社の担当者が説明するのと、パイロット拠点の現地担当者が説明するのとでは、受け取られ方が変わります。「本社が言っているからやる」ではなく「隣の拠点で実際に楽になったらしい」という伝わり方になると、展開の速度が上がります。拠点間で担当者同士が直接やり取りできる場を作っておくと、本社が個別に対応する量も減ります。

定着の段階で効果測定の指標を揃えます。指標は多くする必要はありません。利用者数と利用頻度、対象業務ごとの所要時間の変化、そして現地担当者からの定性的な報告。この3つが拠点間で同じ形式で集まれば、次にどこへ投資するかの判断はできます。

海外拠点の生成AI導入|本社主導のロードマップとガバナンス設計 - figure 3

展開の順序を守る理由

この4段階の順序には理由があります。共通基盤を先に決めるのは、個別導入が進む前に選択肢を閉じるためです。パイロットを拠点でやるのは、本社環境の成果が再現しないからです。ガバナンスをパイロットと並行させるのは、規程を先に完成させると机上の内容になり、後から作ると現場が独自運用に固まってしまうからです。展開拡大を最後にするのは、成功事例なしに横展開しようとすると、各拠点で同じ検討を最初からやり直すことになるからです。

逆の順序、つまり規程作りから始めて、本社パイロットを経て、最後にツールを選ぶという進め方をしている企業は少なくありません。この順序だと、規程が現場実態と噛み合わず、パイロット結果が拠点で再現せず、ツール選定の時点ですでに各拠点が個別契約を持っている、という三重の手戻りが起きます。

拠点別の規制と言語対応で押さえておく点

ロードマップの各段階で、拠点固有の事情を織り込む必要があります。ここではタイとベトナムを例に、実務で確認すべき点を整理します。

タイ 草案段階のAI法とPDPAの扱い

タイで現在確定しているのは個人情報保護法(PDPA)です。生成AIに情報を入力する行為が個人データの処理にあたるかどうか、第三者への提供にあたるかどうかは、扱う情報の中身と利用するサービスの契約形態によります。人事情報や取引先の担当者情報を含む文書を扱う場合は、この確認を先に済ませておく必要があります。

AI法については、ETDAが2026年7月9日に公開した草案が2026年8月14日までパブリックコメントを募集した段階で、2026年8月末時点でまだ成立していません。したがって現時点で「タイのAI法に基づく対応」を具体的に固めることはできません。

ただし、何もしなくてよいという意味ではありません。草案がEU AI法に似たリスクベース規制で、域外適用を含む方向で議論されている以上、成立後に求められる可能性が高い項目は予測できます。用途ごとのリスク評価の記録、どの業務でどのAIを使っているかの一覧、利用ログの保持。この3つは、法律の内容が最終的にどう固まっても無駄になりにくい準備です。

タイ拠点で今やっておくべきことは、法律の成立を待つことではなく、成立したときに提出できる記録を作り始めることです。前述のとおりタイではデジタル・AIインフラへの投資が集中しており、2026年上半期の投資申請436億ドルのうち330億ドルがこのセクターでした。インフラ側の環境は整っていくため、使い始める障壁はむしろ下がります。使う量が増えてから記録の仕組みを後付けするのは大変です。

ベトナム 施行済みのAI法と個人情報の扱い

ベトナムはすでにAI法(法律番号134/2025/QH15)が2026年3月1日から施行されています。あわせてデジタル変革法(法律番号148/2025/QH15)も2026年7月1日に施行済みです。タイと違い、こちらは「これから決まる」ではなく「すでに適用されている」状態です。

このため、ベトナム拠点での生成AI利用は、社内の方針を作る前提として現地法令の要件を確認するところから入る必要があります。個人情報の取り扱いについても、ベトナムには個人データ保護に関する規制があり、データの越境移転に関する手続きが絡む場合があります。生成AIサービスの利用形態によっては、この論点に触れます。

一方でベトナムは、利用の実態も先行しています。生成AI利用率は2025年上期の21.2%から下期の23.5%へ上昇し、タイの10.7%、インドネシアの12.7%、フィリピンの18.3%と比べても高い水準にあります。就業者の20.8%、約1,150万人が生成AIに曝露する業務に従事するというILOブリーフの試算もあります。

規制が整っていて利用も進んでいるという組み合わせは、本社から見ると扱いやすい面があります。何をしてよいかの基準が明確で、現地の従業員も生成AIに慣れているためです。前述のとおりパイロット拠点としてベトナムを選ぶ判断に合理性があるのは、この点によります。

言語とITリテラシーの差をどう吸収するか

規制と並んで実務に効くのが言語です。海外拠点の業務文書は、現地語と英語と日本語が混在しているのが普通です。生成AIに何かを処理させようとすると、この混在がそのまま入力側の課題になります。

現地語の資料を日本語で要約させる、日本語の手順書を現地語に直して現場に配る、英語の技術文書を現地語で解説させる。こうした使い方は現地拠点で需要が大きい一方、出力の品質を誰が確認するかという問題が残ります。専門用語や社内固有の言い回しは、そのまま任せると正確さを欠きます。

現実的な進め方は、用語集を先に作ることです。設備名、工程名、品目分類、社内の役職名。これらの対訳を拠点ごとに整理しておくと、出力の安定度が上がります。地味な作業ですが、この準備の有無で使い勝手がはっきり変わります。

ITリテラシーの差については、教育の形態を拠点に委ねるのが有効です。本社が共通教材と到達水準を決め、実施の方法は現地に任せる。座学が向く拠点もあれば、実際の業務画面を使ったハンズオンでないと定着しない拠点もあります。国内調査でも規模の小さい組織ほど活用率が低い傾向が出ており、人数の少ない拠点では、教材を配るだけでは動きません。誰か1人が使えるようになって周囲に教える、という広がり方をすることが多いため、その1人を先に作ることに絞ったほうが効率的です。

費用感の目安と予算の考え方

費用については、拠点数と利用者数で構造が変わります。ここでは一般的な相場観として、どういう費目が発生するかを整理します。個別の金額は契約形態と規模で大きく変わるため、確定的な数字としては扱わないでください。

1つ目は、継続的に発生する生成AIサービスのライセンス費用です。法人向けサービスは利用者単位の月額課金が一般的で、拠点をまたいで契約を集約すると単価の交渉余地が出ます。逆に拠点ごとに個別契約すると、単価も管理工数も上がります。これが共通基盤を先に決めるべき理由の1つです。

2つ目は、初期の構築費用です。既存の社内システムと連携させる場合、社内文書を検索できるようにする場合、業務フローに組み込む場合で規模が変わります。連携を伴わず、汎用のサービスを使うところから始めるのであれば、初期費用は抑えられます。

3つ目は、教育と定着にかかる費用です。これは金額として見えにくいものの、実際には最も見落とされます。拠点の担当者の時間、教材の現地語化、質問対応の体制。ここに手を抜くと、ライセンス費用だけ払って使われないという状態になります。

4つ目は、法規制対応にかかる確認費用です。現地の法務確認や、必要に応じた外部への相談が該当します。ベトナムのように法制度が施行済みの国では初期にまとめて発生し、タイのように今後成立する可能性がある国では、成立のタイミングで再度発生すると見ておくのが現実的です。

予算の組み方として実務的なのは、パイロット段階と展開段階を分けることです。パイロットは範囲を狭く取り、少人数で短期間に区切ります。ここで効果が確認できてから展開段階の予算を組むほうが、全拠点分をまとめて申請するより承認が通りやすく、失敗したときの損失も限定されます。

もう1つ、拠点数が多い場合に効くのが、展開の順番による費用の平準化です。全拠点を同時に立ち上げると、教育と支援の負荷が一度に集中します。パイロット拠点、次に規模の近い拠点、最後に小規模拠点という順で進めると、本社側の支援体制を使い回せます。

よくある質問

海外拠点の生成AI導入は本社主導とローカル主導のどちらがよいか

どちらか一方ではなく、領域で分けるのが現実的です。使用するサービスの承認、入力してよい情報の分類基準、ログ保持と報告の形式は本社が共通で決めます。これらが拠点ごとに違うと統制が効かなくなるためです。一方で、どの業務に適用するか、教育をどの言語でどう実施するか、現地法令に基づく追加の制限をどう置くかは拠点に委ねます。本社が業務適用まで細かく決めると、現場実態と合わずに使われなくなります。線引きを最初に明文化して、拠点が自分で判断できる範囲をはっきりさせておくことが要点です。

タイとベトナムで生成AIの規制はどう違うか

進んでいる段階が違います。ベトナムはAI法(法律番号134/2025/QH15)を2025年12月10日に制定し、2026年3月1日に施行済みです。デジタル変革法(法律番号148/2025/QH15)も2026年7月1日に施行されています。つまり適用されている法律がすでに存在します。タイは、ETDAが2026年7月9日にAI法の草案を公開し、2026年8月14日までパブリックコメントを募集した段階で、2026年8月末時点では成立していません。したがってタイでは現在、確定した規制は個人情報保護法(PDPA)が中心となります。この違いから、ベトナムでは現地法令の要件を前提に運用を組み、タイでは成立後に提出できる記録を先に整えておく、という進め方の差が出ます。

拠点によって生成AIの利用率がかなり違うのはなぜか

規制環境、インフラの整備状況、組織の規模が同時に効いているためです。Microsoft AI Economics Instituteの推計では、ベトナムの生成AI利用率が2025年下期で23.5%であるのに対し、タイは10.7%、インドネシアは12.7%、フィリピンは18.3%と差があります。国レベルでこれだけ違ううえに、組織規模による差も重なります。帝国データバンクの国内調査では全体の活用率が34.5%であるのに対し、従業員1,000人超が63.6%、5人以下が29.6%と2倍以上の開きがありました。海外拠点は本社より規模が小さいことが多いため、国の差と規模の差が同じ方向に働きます。平均値で判断せず、拠点ごとの実態を確認することが必要です。

パイロット拠点はどう選べばよいか

3つの基準で絞り込みます。現地のIT担当者が理解と意欲を持っていること、対象にする業務が他拠点にも共通して存在すること、そして規制環境が厳しい側の国であることです。3つ目は見落とされやすいのですが重要です。制約が明確な環境で作った運用は緩い環境に持ち込めますが、逆はできません。この観点では、AI法が施行済みのベトナムをパイロットに選ぶ判断に合理性があります。範囲は狭く取り、1つか2つの業務で現地の担当者が効果を実感できる状態を作ることを優先してください。全社的な成果を最初から狙うと、検証に時間がかかりすぎて勢いが落ちます。

本社で作った生成AI利用規程を翻訳して配れば足りるか

足りないことが多いです。理由は、規程が日本の法令と社内制度を前提に書かれていること、禁止事項の列挙が中心で何をしてよいかが読み取れないこと、翻訳の過程で判断基準の微妙な部分が落ちることの3つです。特に「機密情報を入力しない」といった記述は、何が機密情報にあたるかの線引きが現地では判断できません。実務で機能させるには、その拠点で実際に扱われている文書の種類を挙げて、それぞれが分類のどこに当たるかを具体例で示す必要があります。この作業は現地の担当者と一緒に行わないと精度が出ないため、翻訳ではなく現地版として作り直す位置づけで進めるのが現実的です。

まとめ

海外拠点への生成AI導入で最初につまずくのは、拠点をひとまとめに扱ってしまうことです。タイとベトナムを並べると、進み方の順序がはっきり違います。タイは2026年上半期の投資申請436億ドルのうちデジタル・AIインフラが330億ドルを占めるという形で資本投資が先行し、AI法はETDAが2026年7月9日に草案を公開した段階で2026年8月末時点では未成立です。ベトナムは逆に、AI法(法律番号134/2025/QH15)を2025年12月10日に制定して2026年3月1日に施行済み、デジタル変革法も2026年7月1日に施行済みで、規制整備が先に完了しています。利用率もベトナムは2025年上期21.2%から下期23.5%へ上昇し、タイの10.7%、インドネシアの12.7%、フィリピンの18.3%と比べて先行しています。

この差は、国内で見られる規模による格差と同じ構造です。帝国データバンクの調査では全体の活用率が34.5%で、大企業46.5%、中小企業32.4%、小規模企業28.0%、従業員1,000人超63.6%に対し5人以下29.6%という分布がありました。平均値は意思決定の材料になりません。

進め方としては、共通基盤の選定を先に済ませて個別導入が広がる前に選択肢を閉じ、パイロットは本社ではなく規制環境の厳しい拠点で回し、ガバナンスは本社共通とローカル裁量を明確に線引きして設計し、成功事例を持って展開を広げる、という順序になります。これを守ることで、規程が机上のものになる、パイロット結果が再現しない、各拠点で検討をやり直す、という手戻りを避けられます。費用については、ライセンス、初期構築、教育と定着、法規制対応の確認という4つの費目を分けて見積もり、パイロットと展開で予算を分けるのが実務的です。

拠点ごとに事情が違うのは前提として、それでも共通化できる土台と、拠点に委ねるべき部分の線引きは設計できます。どの拠点から始めるべきか、いまある社内ルールをどこまで使えるか、といった見立ては、現在の拠点構成と業務の状況を伺えれば整理できます。TOMAS TECHはタイとベトナムを含むASEAN拠点での支援経験から、本社と現地の間に立って進め方を組み立てるところからお手伝いしています。まだ社内で方針が固まっていない検討段階でもご相談いただけますので、お問い合わせページからお気軽にお声がけください。

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